FN109号
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11とごうごうと燃える松明が照らす。「最後の一本になります」。その声とともに松明に火が灯される。自然と巻き起こった拍手のなか、熱風が肌を抜け火の粉が舞う。あたりの空気をすべて食らい尽くすかのように、縦横無尽にすがたをかえながら炎は吉田の空に燃え上がっていった。9月5日 吉田の人にとって、火祭りとはどのような存在なのだろう。祭りをとおし、そのことがずっと気になっていた。 「一年のはじまりにして一年のおわり」。‌以前に祭典世話人を執り行ったかたは火祭りについてそうおっしゃる。この言葉が胸にストンと落ちた。「ブクってのがあるでしょう。身内がみんな無事でいられればお祭りに出られるし、不幸があれば出られない。火祭りに出れるってことは祭りが終わってからはじまるまでの一年をまたみんなで一緒に迎えられたことになるんです」。 火祭りのブクについてぼんやりと考えた。不浄をきらい、神様のたたりを受けてしまうから家を離れる。きびしいように感じられるが、私にはある種の優しさのように思えた。吉田の人びとにとって火祭りは気持ちのうえでの一年の区切りだという。大切なひととその節目を迎えることができなかった寂しさをやわらげるためにも、故郷を離れるのではないだろうか。まちを離れて過ごす時間にも、誰かを思う気持ちが存在している。言葉を伴わなくとも、気持ちを伝えることができる。会いたいひとに満足に会うことのできない毎日がつづくなかで、そのことは大きく私を勇気づけてくれた。撮影(2021年8月27日)髙木帆月(比較文化学科2年)=文・写真

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