FN109号
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コロッケとアヤコさん 月江寺を歩くことになって真っ先に行きたかった場所がある。揚げ物専門店「日の出屋」だ。創業60年以上のこの店は、店主のおじさんがひとりで切り盛りしている。高校生のころは、この通りで行われる市民夏祭りに毎年おとずれていた。コロッケ片手に、屋台をまわっていたのを思い出して懐かしくなる。感染症の影響で祭りがない夏がつづき、そんな記憶も忘れてしまっていたことに気づく。今日の散歩で少しずつ、過去の思い出を拾い集めているようだ。 「お姉ちゃんさっきスーパーにいたかい」。コロッケが揚がるのを待っていると、知らないおばあさんに話しかけられた。身に覚えがなくてきょとんとしている私に、「駅のほうまで行くなら一緒に帰ろうよ」と言っておばあさんは坂をずんずん登って行く。道すがら、おばあさんは80歳を超えていて、アヤコさんというお名前であること、若いころに商店街で働いていたことを教えてくれた。 アヤコさんはひとり暮らしで、日の出屋のコロッケをよく買って帰るそう。肌寒い帰り道に二人でコロッケを頬張りながら、若いうちにやっておくべきことや、人生について語り合った。10分ほど歩いて、アヤコさんは踏切の向こうにあるという自宅に帰っていった。「また見かけたら声をかけてね」。軽快に笑いながら歩く背中を見送る。彼女からエネルギーを分けてもらい、足に力がみなぎった。それまでは、慣れない場所の散歩で少し気が張っていたのかもしれない。年の離れたお友だちとの出会いが肩の力をすっと抜いてくれた。月の江書店のよしえさん アヤコさんに背中を押され、私は今まで行ったことがないお店を訪ねることに決めた。後輩を連れて、月江寺大だいもん門商店街を散策する。西裏通りから曲がってすぐ「月の江書店」という本屋を見つけた。いかにも年季が入った看板がひときわ目を引く。ガラス戸を開けると、昭和の歌謡曲が響いた。店の奥には店主のかたが作ったのだろうか、かわいらしい布製の小物が飾られている。ずらりと並んだ本棚には最近流行りのアイドルや俳優が載った雑誌がならんでいて、今は令和だということをハッと思い出す。 手にとってあれこれ本を見ていると、店の奥から店主に声をかけられた。刑おさかべ部よしえさん(70)だ。私たちが本誌をつくっていることを伝えると、富士吉田市の観光ガイドを取り出して地域のことをいろいろと教えてくださった。北ほくろく麓地域をまわって富士山を撮っている写真家のことや、富士吉田市出身の歌手「フジファブリック」の志村正彦さんのゆかりの地など、地元ながら知らないことがたくさんあることを痛感する。私は今までなんとなくの雰囲気でしかこのまちを知らなかったのだ。そう思うと、自分の足で知らない場戦後からつづく月の江書店コロッケとアヤコさん月江寺を歩くことになって真っ先に行きた16no.109 Dec. 2021

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