FN109号
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える。なかに入ってよいものか悩んだが、戸を開けてみると、店主の女性があたたかく迎え入れてくれた。店主の遠とおやま山直なおこ子さん(51)によると、ここは「まつや茶房」というカフェ兼イベントスペースだそう。 「二階にのぼって、好きな席を使ってくださいね」。そううながされ階段をのぼって目を見開いた。こじんまりとした和室は、太宰治ゆかりの天下茶屋を思わせるような雰囲気だ。壁一面にはレコードが貼られている。障子は花札で装飾されていた。思わず「こんなところがあったんだ」とつぶやく。建物の元オーナーが大のレコード好きで、コレクションが大量にあったため、壁紙のかわりに貼ったのだそう。外観からはまったく想像のつかない内装に、ひみつの隠れ家を見つけたようで胸が弾んだ。 直子さんは、まつや茶房を妹さんから引き継ぎ、今年で3年目になるという。こだわりのコーヒーや薬膳ドリンク、軽食などがいただける。その日は肌寒かったので、私は薬膳チャイを注文した。飲んでみると、お湯の温度はちょうどいいのに、体の芯からぽっと熱を感じる。直子さんは「体が喜んだり、元気所を開拓したいという気持ちがいっそう強くなった。直子さんのひみつの隠れ家 夕方5時、「子ねの神かみ通り」と書かれたネオンが怪しくピンク色に光り、頭上のちょうちんにも明かりが灯る。狭い路地がちょうちんの明かりに照らされるさまは異世界への入り口のようだ。この通りから出て本町通りを南にのぼると、ガラス戸の向こうにこたつで談笑する家族が見えた。店の手前側ではお惣菜が売られているようだが、民家のようにも見になるものをお出ししたいと思っています」と笑みを浮かべる。 「寝っ転がって休んでもらっていいですよ」と言われて、横になってみる。お店で寝転がるなんて悪いことをしている気分だが、その背徳感がまた心地いい。丸一日歩き疲れた体がほぐれて心が落ち着いていく。 * * *  休みながら今までの道のりを振り返った。通り沿いや細い路地の先、いたるところで、出会ったたくさんの店主やお客さん。誰もがほがらかで、気さくな笑顔が頭にうかぶ。レトロなお店は、はじめは入るのにちょっと勇気がいるけれど、踏み出せば必ず素敵な出会いが待っていた。 古くから愛されるお店と新しい建物が混ざった路地。ネオンが光る通学路。ちぐはぐだけどバランスが取れていて、とりこになる空間があった。路地裏をたずねることで、映画のセットのように見えていたお店一つひとつに、まちの人の息づかいを感じる。電車で通り過ぎていただけのまちが、今では愛着あるまちに変わっていた。17写真はすべて2021年10月28日に撮影しました。通り」と書かれたネオちゃぶ台を囲んでのんびりすごす

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