FN109号
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232323伝統は代々、家系の男性だけに口承されてきた。知惠子さんの夫らがつくった占い道具は、富士吉田郷土資料館に展示されているという。カウンターわきにも、今年の結果が額縁に収められていた。「今は(男だけ継ぐという)そういうの、良くないかもしれないけれど」という女将さんに、時代の移ろいを感じ取った。さっきまではなんとも思わなかった池が神聖なものに思えてくる。ここにはきっと、妖しいなにかが宿っているのだ。タイムスリップ廊下をまがると、入口には浮世絵が描かれたの0﹅﹅﹅れん00が掛けられていた。ひさびさの温泉に心が躍る。わたしは大の温泉好きだ。くぐったさきは、すぐ脱衣所だった。しかも、部屋の中央に一枚の仕切りが置いてあるだけで、脱衣所と浴場は地続きで段差がない。男湯との仕切りも低く、まるで江戸時代まで遡ったようだ。のれん000の浮世絵のモデルが動いていたころに想いを馳せる。高い天井をみあげると、何本もの立派な梁がとおっていた。梁のまんなかには、亀裂が入っているものもあり、過去の震災を思い起こす。それでもなお頑丈に建っているのは、当時の匠が手がけたおかげだろう。 浴場に進むと、石段にぺたぺたと足音が響く。シャワーはひとつだけだ。床からほんの少し浮いたくらいの木椅子に座り、汗を流した。浴槽には、少し高めの温度でお湯がはられており、入るとすぐに太もものうちがわまで熱が伝わってくる。奥のほうまで進み、うしろをふり返った。こちら側からみると、部屋が開放感に包まれる。こじんまりとしたつくりなのに不思議だ。浴槽が深いため、肩までしっかりつかることができた。*  *  *気持ちいい。心もほどけていく。じっくり温まりながら、幼いころに母とかよった温泉を懐かしんだ。わたしにとって温泉は、自分のいたわりかたを肌で知る大切な場所だった。一人暮らしをはじめてからは、効率を求めてシャワーばかりだ。そんな気ぜわしい日々に、わたし自身も社会から答えを急かされているようで、慌てていた自分に気づく。「もっとゆっくり大事に生きよう」。のぼせた頭でまとめた、さっぱりとした目標も湯気に変わってのぼっていった。今日は、葭之池温泉から地域の歴史を垣間見ることができた。葭之池温泉は探しだした者のために、その魅力をしとやかに伝えてくれるらしい。夕暮れの心地よい風のなか、車通りの激しい帰路につく。近くでせわしなく音が響いても、わたしの心はまだ温泉でふわふわとくつろいでいた。2323232323232323232323り温まりながら、幼いころに母とかよった温泉を懐かしんだ。わたしにとって温◁女湯ののれんに描かれていた浮世絵

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