FN109号
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ごきげんにギターをかき鳴らすと、拍手せずにはいられないくらいの粋なサウンドが場を包んだ(2021年10月11日)める。カーブミラーの背後に長い文章の書かれた看板が立っていたからだ。そばには大きな記恩碑がある。看板の文字に目を通すと、どうやらこの碑は西桂で医師として尽力した川かわいはるつね合立玄先生とつね夫人に対し、あとつぎの川合信しんすい水先生がその御恩を記念して建てたそう。昔、流行り病でもあったのだろうか。思いを巡らせながら歩を進めると、後ろから大きな声で呼び止められた。振り向けば、台車を手にした男性がほがらかに笑っている。 手招きされ、私たちは木こぐれかなめ暮要さん(62)の家にお邪魔をした。座るよう促された窓サッシへ近づくと、部屋には無造作にCDが散らばり、弾ける準備はいつでも万端だと言いたげに、アンプとつなげたギターが置かれている。木暮さんの生きざまがひと目見てわかるような空間だった。 「俺がフックで(引っかけて私たちを引き)とめたんだけど。まあ、10パーセントでも、20パーセントでも発信してくれれば良いかな。……深掘りまでいかなくても、西桂を歩いて一つのなんかを得てもらいたい」。そんな思いをもって私たちに声をかけてくれたそう。まずは記恩碑について教えてくださった。「聖域って言うのかな。そういうのが心の支えになって、病気になったら川合さん行きゃあ良いやっていう、唯一の、ね」と、当時の人びとに気持ちを重ねる。記恩碑にまつわる歴史が書かれた本もお借りした。その本によると、立玄が西桂に「愛あいしんどう神堂病院」という病院を建てた年、疱ほうそう瘡が流行したという。村人の4分の1が亡くなるという被害にあったが、立玄は西洋医術を活かして多くの患者を救ったそうだ。ほかにも、感染症から得た教訓や自身の見てきた都留のようすなど、からからと大笑いしながら話す木暮さん。自らを「ブルースじじい」と称し、「10代からバンドだけはしてたんだよ」とギターを手に語る。あっというまに時間が経っていた。 別れぎわ、「世のなか単純だから、足を踏み外さなければほとんどフリーだから、なにをやりたいって言っても良いんだよ」と私たちに向けて語気を強める。思いがけない出会いに背中を押されたひとときだった。「会えて良かった」と口にした木暮さんのすがたが目に焼き付いた。▽ ▽ ▽ この機会がなければ、行くことのない「駅間」だった。何度か自分の足で歩いた今では、見どころや気になる場所がいくつもある。道のほどに、中華料理店がぽつんとたたずんでいること。都留に比べて水の音や虫の鳴き声がよく響き、心地がよいこと。夕暮れどきになると、山を照らす光のぐあいが段々とグラデーションのようになっていくこと。クエストには隠し宝箱や隠しルートがつきものだが、この「駅間」にもまだ見ぬ魅力が埋もれているのだろう。どうやら、私の「駅間」攻略はこれからも続くようだ。26no.109 Dec. 2021
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