FN109号
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よって建物ごと流されてしまい、今の場所へ移された。その移転以来、モミジもここにあるというように聞かされているそうだ。そして移転当初、モミジは2本あったとのことだ。今の、1本だけの木を思い浮かべて首を傾げていると、もう1本は枯れてしまったのだと啓子さんが教えてくださる。枯れたのは啓子さんが西願寺に来られる以前のことで、もう1本は本堂から見て、今のモミジの向かって右側、太子堂を挟んで立っていた。枯れてしまったモミジは周辺のかたが珍しがり、取り木(※2)したことをきっかけとして、弱ってしまったのではないかということだった。2本並んだモミジは啓子さんも写真でしか見たことがない。お寺の歴史や七変化もみじについての知識は、信彦さんの父の妹で、養母だった綾子さんから教わったことだ。信彦さんは叔母である綾子さんの養子になることで、長い歴史のある西願寺の住職を継ぐことにしたのだという。移転時にされたと思われる接木の経緯はよくわかっていない。それでもモミジとお寺の歴史をうかがうと、木が今こうして残っていることがとても貴重なことだとわかる。てしまうんです」。そう言って笑う信彦さんは誇らしげだ。「専門家ではないから先代、先々代から語り聞いたことしか分からないけど」。そう断りながらも、信彦さんは知っていることをていねいに話してくださった。 お話によると、七変化もみじは突然変異のモミジらしい。それは葉の色の変化に加えて、今の七変化もみじの種たねから芽吹いても同じように育たないからだ。信彦さんは「花も葉も小さいでしょう。植木屋さんに見てもらったけど上品だと」。そう褒めてもらったときのことを思い出して笑う顔は嬉しそうだ。けれど良いことばかりではない。七変化もみじはとても繊細だ。「枝に粘りがないから。しならなくってこんなに太い枝が折れてしまったんです」。信彦さんは両手で丸を作って枝の太さを教えてくださる。それは直径10センチくらいに見えた。 ほかのモミジと違っていたり、綺麗だったりするのは見る人にとって良いことだ。けれど木にとっても同じように良いこととは限らないのかもしれない。樹齢400年になっても、隣に並んだ枝垂桜よりずいぶんと小さくて細いモミジのすがたが思い出された。つなぐための接木 七変化もみじの来歴は明らかではない。啓子さんが教えてくださった樹齢は西願寺の歴史とともに教わったことという。教わった話によると、西願寺は今から800年前の鎌倉時代におこされた。場所は上谷ではなく、今の都留自動車学校の近く、採石場のあたりだ。そのそばに菅すげのがわ野川があり、水の勢いで川の流れる場所が変わることから「暴れ川」と呼ばれていたらしい。そして400年前の洪水に太子堂を挟んで2本のモミジが立っている(※1)※1『奥隆行写真コレクション』都留文科大学地域交流研究センターフィールド・ミュージアム部門2012年※2接木のために木から枝をとること50no.109 Dec. 2021
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