FN109号
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残したいもの 今まで私は七変化もみじを「西願寺のモミジ」と呼んできた。そこには西願寺に生えているモミジというだけの意味しかない。それがご夫妻からお話をうかがうことで「七変化もみじ」‌へ変わっていった。「七変化もみじ」は、‌はたから見ればいち地方の、お寺周辺で使われている俗称に過ぎないかもしれない。けれど「西願寺のモミジ」ではなく、「七変化もみじ」を使う人たちのあいだでは、きっとこの言葉で共有するイメージや感覚がある。たとえば、モミジの1年を通した変化や、その変化を愛する気持ちがあるだろう。そして通称として馴染むだけの時間がたつうちに、大切にする人たちどうしの繋がりも育まれていったかもしれない。そういう、モミジのすがたと思い、歴史、繋がりというかけがえのないものが、この通称にはあるように思えてならない。そして多くの人たちに愛されつづけることで、「七変化もみじ」はいつのまにか通称から愛称として、地域になじんでいったのではないだろうか。 お話を聞きおえ、帰りぎわにモミジを見る。西願寺と﹁七変化もみじ﹂ 信彦さんは枝垂桜よりも七変化もみじが気に入っている。そのため枝垂桜の枝がモミジを覆ったとき「桜のほうを切ってしまえと言うんだけど、みんながダメだダメだって」と苦笑いを浮かべる。枝垂桜のお椀のように丸く覆いかぶさるすがたが綺麗なため切らせてくれないのだとか。枝垂桜を見にくる人は多いようで、「モミジやその花のことは知らない人も多い」と語る信彦さんからは、モミジに向ける強い熱意がうかがわれる。 七変化もみじは、接木をめぐって多くの出来事と直面してきた。現実には、それは七変化もみじを枯らすことにつながったかもしれない。しかし、それは多くの人に親しまれ、愛されてきたということでもある。何よりご夫婦がモミジを大切にして、少しでも木が長生きできるように、さまざまな試行錯誤をされてきたことと接木を切り離して語ることはできない。七変化もみじが周辺の人によく知られていると話す信彦さんの言葉は、多くの人がモミジに関心をもっていたことを教えてくれる。そしてこの話を語るということが、七変化もみじとそれを繋いできた西願寺に対する信彦さんの誇りを表しているように思えた。枝垂桜についても信彦さんは話してくださる。そこで「桜は50年くらいで苗木から今の大きさになったけれど、もし七変化もみじが根づいたとしても、私の代で大きくなることはないでしょう」と言われた。表情に変化はないように見えた。けれどこの言葉から、やがて枯れてしまう七変化もみじに対する信彦さんの確かな切なさを感じた。朱色に紅葉した七変化もみじ(2021年11月21日)52no.109 Dec. 2021

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