FN110号
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尾おがた県郷土資料館は、禾かせい生駅から田たのくら野倉駅のあいだにある。明治11年に尾県学校として開校されたこの場所には、今もたくさんの人が集まる。ここは、人と人とをつなぐ場所だ物知りな館長さん 私が初めて尾県郷土資料館に訪れたのは、12月のことだった。緊張しながら入り口で挨拶をすると、館長の山やまもとつねお本恒男さん(85)が対応してくださる。出身地について聞かれ、「岐阜県の飛ひだたかやま騨高山です」と伝えると、「あそこはいいところだよねぇ、行ったことあるよ」と、地図で山本さんが訪れた場所をみせてくださった。自分にとっての大切な場所である地元のことを話してくださるのはうれしい。そこから私もだんだん緊張がとけ、自然と話が進んだ。 その後も何度も資料館を訪れ、家族の話、好きなものの話から歴史や地名、朝ドラの話までした。山本さんの知識の豊富さには驚かされる。「この人は知ってる?」と聞かれても「聞いたことはあります」としか言えない私に、あきれつつも丁寧に説明してくださるその表情はいつもやわらかい。そんな山本さんと話すのが私はとても好きだ。 そして、山本さんの物知りさにはあこがれを持つ。そのことを伝えると、「そりゃあこれだけ生きてきたからその分知ってるってだけだよ」と笑っていたが、きっとそれだけではない。私の地元の偉人について話しているさい、その人のことをもっと知りたいから私が帰省したときに資料などを印刷して持ってきてほしい、と頼まれたこともある。年齢に関わらず、新しいことを知ろうとする気持ちをずっと持ち続けているのだ。私もそんな大人になりたい。資料館と館長さん 山本さんは小学校の高学年の時、この尾県学校で学んだ。尾県学校という名前は、「小形」という地名から、当時の県知事があて字としてつけたそうだ。山本さんは、そのときの思い出をもとに、館内に展示されている遊び道具や教育の資料などを解説してくださる。先生が厳しかったことや、昔は今よりも複雑な漢字をつかっていたことなど、思い出話が尽きなかった。自分にとっては考えられない経験ばかりで驚かされる。それでも子どものや尾県郷土資料館つなぐものが2222no.110 Mar 202222no.110 Mar 2022尾県郷土資料館の正面。西洋建築と日本建築を融合させた、藤村式という様式の建物だ(2022年2月15日)

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