FN110号
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今でも彼らにとっていとおしい、大切な場所なのだろう。資料館と子どもたち 地元の大人たちはもちろんだが、大人に限らず子どもたちもよく訪れるそうだ。社会見学などで子どもが来ることは多いらしく、感謝の手紙や絵、寄せ書きがたくさんあった。寄せ書きに描かれている資料館の絵は、丁寧に色が塗ってあるもの、豪快にクレヨンで塗りつぶしてあるものなどさまざまだが、一つときも、しばしば地元の人が尋ねてきておしゃべりをしている。そして話し終えた後はいつも、山本さんはうれしそうにしている。「ウォーキングついでに寄ったのよ」と言いながら5分ほどお話していくかたもいた。資料館は「観光地」であるだけでなく、地元の人たちにとっても居心地のいい場所なのだと思う。山本さんの顔を見て、話をする。それだけで少し元気になれるから、みんなついつい寄ってしまうのだろう。 ときには、資料館が学校だったころにともに学んでいた仲間が訪れ、「ここでケンカしたよなぁ」などと懐かしむこともあるそうだ。この資料館は、明治10年に開校し、昭和16年までは学校としてじっさいにつかわれてきた。昭和48年には復元工事を経ながらも、ここまで残されてきたのだ。小学校のころから長いあいだ付き合ってきた友人たちとも今では、どこの病院へ通っているか、あの人は元気か、などという話までするという。それぞれ、年を重ねることで変わっていく。話題もどんどん変わっていくが、それでも変わらないつながりが今もある。そんな出会いをつくってくれた場所だからいっそう、資料館は 山本さんは人との縁を大切にしている。だからこそこの尾県郷土資料館にはお客さんが訪れる。もちろん建物をみるために訪れる人は多いが、資料館の魅力はそれだけではない。また会いたい、お話ししたいと思わせてくれる山本さんの存在が、多くの人にとってはここに訪れる理由になっているのだろう。館長さんと旧友 尾県郷土資料館に訪れるのは、半分は地元の人だという。確かに私が資料館に訪れた資料館の外で遊ぶ子どもたち。資料館のまわりには子どもたちの笑い声がひびいていた(2022年2月27日)資料館に訪れたお客さんと館長さん。このかたははじめて訪れたそう(2022年2月5日)2424no.110 Mar 202224no.110 Mar 2022
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