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10no.112 Dec. 2022タペストリーを作ろうとしている生徒のかた。派手な色が好きなんだよね、と鮮やかな紐をみせてくれた佐藤優美(国文学科3年)=文・写真らかといえば、広く浅くだったのが、こぎん刺しをやり始めてから、追求したいと思い始めたという。 真澄さんの将来の夢の一つは、「個展をひらくこと」だ。「そういうのをめざしてやっていくのがいいのかな」と大したことではなさそうにつぶやいた。「ふすま444ぐらいの大きな作品を作りたいんだよね。出来るかな、出来たらいいよね。だったらやっちゃうか、みたいな」と入り口のふすま444を見る。だいたい、縦が170センチ、横が270センチほどだろうか。夢を語るのは簡単だが、じっさいににやるのは難しい。それでも無謀な挑戦だと思えず、応援したくなる。それは真澄さんの津軽こぎん刺しへかける熱意が、話ぶりや作品からあふれ出ているからだ。「まずは、今作っているものを完成させないと」と、刺しかけの暖のれん簾に手をかけた。私も、布に目を落とし向き合い始める。* * * 布に模様をつける方法は多くある。織物のように布をつくる段階でつけるもの、プリントしていくもの、染めるもの、そして津軽こぎん刺しのように、出来上がった布を彩っていくものなどさまざまだ。真澄さんはこぎん刺しの良さを語った。「ぜひ触ってぬくもりを感じてもらいたいなと思っていて。あたたかみもそうだけど、触って、見て感じるものって、思うことは人それぞれ」。感覚を押しつけない優しさに、ありのままの真澄さんを想像することができた。それでは、私は何を感じるだろうか。自分で刺した「花こ」を撫でる。ぷっくりとした模様が気持ちよい。「花こ」の「こ」は、東北の方言で可愛らしいものにつける語尾らしい。コングレスに咲いた黄色い花は、ゆがんでいるが愛嬌がある。親ばかだろうか。思い返せば自分で何かつくることを最近やっていなかった。頭を空っぽにして、せっせと手を動かすのは精神力との勝負だ。完成した達成感は、やめられなくなる。「もう少し生活が落ち着いたら、また津軽こぎんをやりたいです」と言うと「ほんとうに」と笑顔を見せてくれた。 青森県津軽地方の伝統工芸は時代を超えて、母から子へ、先生から生徒へ、個人から個人へと繋がり、都留のまちまでやってきた。 針に糸を通して、はじめの縦糸を探す。それからはじめる一針が、作品の始まりだ。こぎん刺し以外でも何かをやり遂げるには、たくさんの時間がかかるかもしれない。簡単にできないからこその面白みがある。そんな当たり前のことを、こぎん刺しは思い出させてくれる。 目の前にあることをやり遂げるため、まずは少しでも進めてみよう。そして、それが終われば次のやりたいことがまっている。

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