FN112
18/56
能の舞台には松が描かれている(2022年10月20日)▷能の舞台には松が描かれている(2022年10月20日)▷ 都留宝生会は今年で115周年を迎えた。創立当初の記録はないという。ただ、明治45年6月3日付の山梨日日新聞には明治42年8月に謡曲稽古の始まりを伝える記事があり、それを根拠としている。都留で能が100年以上も続いてきた理由を探したい。やることでわかる 「能」と言っても、謡うたいや仕しま舞い、お囃はやし子といったさまざまな役割から一つの舞台が成り立つ。謡には、独特な節回しがあり、せりふも含めて謡われる。源氏物語などが能の脚本に書かれていて、「高砂の」や「牛若丸」という言葉が出てくる。古典で習った言葉がでてくると、「あ、知ってる」と、能の世界がぐっと近づくような気がした。 都留宝生会の皆さんは仕舞いやお囃子の演奏などもする。仕舞いには型があるが、都留宝生会の会長佐野龍りゅういち一さん(64)は、「ただ腕をあげるだけの動きでもなんかできなかったんです」と語った。また、遠藤匡まさひこ彦さん(91)はもともと教師をしていたそうだ。仕事終わりに先生の仲間で集まって、稽古をしていたと思い出しながら話してくださった。さらに、「謡にもリズムがあって。練習するとわかるようになるんだよね」とおっしゃる。私は謡を聞いてもリズムをつかめなかった。しかし、長い時間をかけるからこそ、そのリズムがわかり始めるのだろう。簡単にはできず、探求する楽しみがあることが、能が人を惹きつけてきた理由なのかもしれない。緩急をつける また別の日には友垣会のお稽古を見学した。何度も通ったことがある道に練習場所があった。家のなかの能舞台に書かれた松は、とても立派だった。参加者のかたがたと指導する田崎甫はじめ先生(34)が出迎えてくださる。お稽古が始まると、空気が一気に張りつめた。先生がお囃子を叩き地じうたい謡をするのに合わせて能を舞う。パンパンというお囃子を叩く音、スーという舞台をすり足で移動する音、バサッという扇を開く音、そして緩急をつけて動くようすに釘付けになった。その後、先生が「1、2歩目ゆっくり、3、4歩目早く」などと細かい部分まで指導する。もう一度仕舞いの練習が始まると、より迫力が増したように見えた。寺子屋のような場所に 能にはなじみがなかったと田崎先生に伝えると、「日本人は知らないことを敬遠するところがある。でも大人になるともっと早くから伝統芸能を知っておけばよかったと話すんですよ」とおっしゃった。だからこそ、子どもへの普及活動に力を入れている。「ここが安心して来られる寺子屋のような場所になればいいな。寝ててもいい。でも舞台に入ったら集中する。それがある日できるようになる。能を通してそうなってくれたらいい」と能を教えるときの想いを語った。
元のページ
../index.html#18