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19左上:バチで台を叩いて、お囃子の代わりに使う(2022年10月26日) 右:発表会の謡のようす(2022年11月5日)左下:先生と仕舞い「敦あつもり盛」の練習をする(2022年10月26日)髙橋杏佳(地域社会学科3年)=文・写真 今日の子どもたちのようすを見るとまさにそうだった。夕方には、学校帰りの小中学生がお稽古に参加する。舞台に入り先生と挨拶をすると、その前までとは表情が変わる。キリッとした表情で、堂々とした声で謡い、舞ではドンと舞台を踏んでいた。小学生の子に「かっこよかったよ」というと、「ありがとうございます」と照れながら微笑んでくれた。お稽古が終わった後も、練習を撮影した動画を見て振り返りをしていた。キトス海かいと翔くん(12)は「自分の大きな声を活かしたかった。学校とか家ではうるさいって言われるけど、ここにくれば褒められる」と嬉しそうだった。コロナ禍でなかなか大きな声を出せない。それでも、ここなら自分を認めてもらえる。まさに安心できる「寺子屋のような場所」だ。 また、都留宝生会でも能楽体験教室などを開いている。「ぜひ学生にも」とお誘いしていただいた。教室には地域のかただけでなく、本学の留学生が来るなど、能が広まっている。* * * 五感と能の関係について聞くと、先生は五感ではないかもしれないけどと前置きして、「『間』があるんですよ」とおっしゃった。見ることや聞くことに直接関わるものではなく、少し意外に思う。しかし、直接五感に関わらないことを話すのは、他のかたも同じだと思い出した。仕舞いの型を舞う楽しさを語った佐野さん、次第にわかるようになる謡のリズムについて話した遠藤さん。ほかにも、謡で発声することで日本語の美しさがわかったというかたや、仕舞いで姿勢が良くなったんだよねと話す人がいた。じっさいにやっている人の話を聞くと、全身を使っているからこそわかる深みがあると伝わってきた。 先生は「能はそこまで面白いものじゃない。だから‌6‌0‌0年間続いてきたんだよ」と笑う。小学生の子は「勝負がつくわけじゃないから、難しい」と話す。能は誰かと比較するものではなく、自分の上達と真摯に向き合っていくものだ。 だからこそ、能が1‌0‌0年以上も都留で続いてきたのかもしれない。ただ、私が知ったのは、能の一部分でしかない。その一瞬では簡単に面白さがわからないからこそ、能の深みにはまっていきそうだ。

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