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38「松風の 落ち葉か水の 音涼し」 芭蕉が夜の静寂のなか、風に散る松の落ち葉や水の音を詠んだ句だ。この句碑がある東とうぜんじ漸寺へと向かうため、地図を見ながら国道139号線を歩き始める。あたりを見渡すと、山はまだ深緑色なのだと気づく。これから、赤や黄色に葉が染まっていくのが待ち遠しくなった。10分ほど歩いたところで、東漸寺の門が見えてきた。 東漸寺に入ると、一本の大きなもみじの木に包まれるようにして句碑が置かれていた。句碑のまわりには松ではない、ほかの植物の落ち葉があった。句で詠まれていた松の落ち葉の光景を想像する。過去にタイムスリップできるのなら、そのときのようすを見てみたい。句碑へ一歩近づくと、まだ昼間なのにもかかわらず、夜のような静けさに引き込まれるようだった。都留には松尾芭蕉の句碑が10か所ほど点在しており、田原の滝には彼の像もある。自然がもつ力強さを俳句にすることを好んだ芭蕉は、どのようなところに都留の自然の魅力を感じたのか。じっさいに句碑を巡ってみた。見つめるその先に 「リーン、リーン」。静けさに浸っていると、鈴虫の声が聞こえてくる。実家のベランダの近くにいた鈴虫の声を思い出して、懐かしい気持ちになった。虫の声は楽器や人工物では表現することが難しい繊細な音だと改めて感じた。「名月の 夜やさぞかしの 宝ほうちざん池山」 芭蕉が谷村に流りゅうぐう寓(※)して戸とざわ澤の宝池山正しょうれんじ蓮寺を訪れたさい、宝池山の月の美しさや名月の晩への期待を込めて詠んだ句だ。 句碑巡りで一番気になっていた月待ちの湯へ向かう。久しぶりにバスで移動するので、曇り空でも胸がはずむ。バスが出発してから10分経ち、だんだん山奥へと入っていく。到着してバスを降りると、霧がかかった森や野原が広がっていた。緑豊かな光景を目の当たりにし、思わず走り出したくなる。 澄んだ空気を吸い込み、施設のなかに入り、入浴料720円を支払う。施設にはお年寄りのかただけでなく親子連れも訪れていて、幅広い年代の人に親しまれている場所だと感じた。廊下の壁には木版が飾られていて、温泉の感想を川柳にしたものが綴られていた。 じっさいに句碑がある露天風呂へ向かう。入り口のすぐ近くに句碑が置かれていて、露天風呂の迫力をいっそう引き立たせていた。 湯船につかると身体が芯から温まっていく。句碑を眺めながら入ることができる機会はなかなか少ない。貴重な体験をしたことに嬉しい気持ちになった。田原の滝を眺める松尾芭蕉。コロナ禍でマスクが付けられていた(2022年11月9日)※流寓:他郷にさすらい住むことno.112 Dec. 2022
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