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42no.112 Dec. 2022宝鏡寺がつなぐもの私は、小学生のころから歴史が好きだ。その土地や時代を知ることは、物語を読むようで胸が高鳴る。だからこそ、都留に来て、このまちの歴史を知りたいと思った。寺は歴史を映してきた。そこで私は、東ひがしかつら桂にある宝ほうきょうじ鏡寺を訪ねた。宝鏡寺と都留の歴史 宝鏡寺は富士急行線の東桂駅から西にしかつらちょう桂町のほうに国道を歩いて15分のところにある。はじめての取材ということもあって、緊張しながら向かった。石碑が見え、その奥に進んでいくと、荘厳な庭が目の前に広がる。足を踏み入れた瞬間、静けさが身を包んだ。非日常のおもむきに思わず背筋が伸びた。出迎えてくれたのは、先代の方丈(※)の奥さまである佐藤秀ひでこ子さん(73)だ。明るい笑顔に少し肩の力が抜けた。 宝鏡寺は室町時代に創建され、江戸時代には役所や寄合の役目を兼ねていたという。「海外の教会みたいなものだね」と佐藤さんはおっしゃる。都留は、松尾芭蕉や徳とくとみそほう富蘇峰など、時代を問わず多くの文化人が訪れている。それは江戸時代、それぞれの村を治める庄屋が農民から税を取り立てるだけでなく、教養を身につけさせたからだという。そのため、農民でありながら俳句や文学をたしなむ人が多かったそうだ。そのことが著名な文化人を惹きつけたのだろう。庄屋が文化人を招くときには、広い敷地を持つ宝鏡寺がよく使われ、農民たちも彼らと交流したそうだ。 佐藤さんは本学が都留に建てられたのも、身分に関係なく教養のある人が多かったからかもしれないという。江戸時代や本学が建てられたころというと、ずいぶん昔だと思っていた。しかし、今につながっているのだとはっとさせられた。 昭和50年ごろには、発達障がい者への支援もおこなっていた。当時、学校に通えなかった障がい児と保護者のために、宝鏡寺を開放していた。そこで保護者同士で交流がおこなわれ、支えあいながら地域全体で子育てをしていたのだ。現在は国の制度ができたことで宝鏡寺はその役目を終えたが「ここは心を育てるところだから」と佐藤さんは話す。 宝鏡寺は昔から多くの人びとを受けいれ、育ててきた。それは同時に、地域をつなぐことにもつながる。そして、今にも続いている。※方丈…曹洞宗の言葉。住職のこと
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