113号HP用
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13原優希(国際教育学科1年)=文・写真との関係についてうかがう。「本当に笑える内輪話なんだよね」と小宮山さんは言った。当時、保寿院の先代の住職さんが都留で七福神巡りをやろうと提案した。どのお寺にどの七福神像を祀るのか決めるさい、発起人である保寿院から選ぶことになったそうだ。「取ったもん勝ち」「前の住職さんはこういうノリでやってたから」。意外なきっかけを笑いながら答える小宮山さんにつられて、私も思わず笑みがこぼれる。都留七福神巡りを始めたもうひとつのきっかけとして、お寺離れがある。お正月のときぐらい人びとにお寺へおとずれてもらい、少しでも活気づくようにするために始めたそうだ。私も七福神巡りを通して、七福神という視点から都留をみつめ、ふれることができた。たとえば、ふだんなら耳にするだけのお寺の名前もじっさいに足を踏み入れて、そのお寺自体の歴史を知ることができた。小宮山さんも、用事でほかの宗派のお寺をおとずれたときに、都留にこんなお寺があったのかと驚くそうだ。お寺におとずれる目的が違っても、得られる気づきや感じることは共通するのかもしれない。縁が巡る 「小宮山さんが思う『巡る』とは何ですか」。小宮山さんは「また難しい質問をするね」と答える。「巡るといえばまわる444、まわる444といえば円だよね」「こうやって話をするのも縁だよね」。私は円から縁という発想がなかったため、この答えにはっとした。確かに、都留七福神巡りをしなければ小宮山さんとお話しする機会はなかったかもしれない。今回の経験を自分の言葉でつづるという機会も得られなかっただろう。小宮山さんの言葉を聞いて、巡ったときのようすを思い出す。それぞれのお寺で御朱印をもらったとき、どの住職さんも必ず「今日はどうやってここまで来た三種類のなかから一枚500円で購入することができる(2023年1月11日)の?」「気をつけてね」などと声をかけてくださっていた。この何気ない一瞬が「縁と縁のつながり」なのかもしれない。 私は小宮山さんと一緒に「めぐる」という言葉を、携帯で調べてみた。「めぐる」という言葉ひとつをとっても、漢字によって意味が異なる。小宮山さんは「流れに逆わらずに生きていくことなのかな」とおっしゃる。これは、都留七福神巡りを始めた先代たちが難しいことは考えずに楽しくやろうという思いに似ているような気がした。* * * ただ御朱印をもらうことだけが七福神巡りではない。道中でみる景色や出会った人との間でうまれる雰囲気も含めて七福神巡りなのだ。小宮山さんの言葉で気づくことができた「縁と縁のつながり」は、今まで耳にするだけで実感することが少なかったため、遠い存在であるかのように思っていた。しかしこれは、日々を彩る大切なもので、意外と身近な存在であった。私も小さな縁を大切に日々を歩んでいきたい。

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