113号HP用
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no.113 Mar. 2023 18都留を語る現在の祖父母。昨年金婚式を迎えた。子どものころからかわいがってもらっている(2023年2月16日)都留での暮らし 「今日はお願いします」。私がそういうと、横に座っている祖父は「何が聞きたいんだ」と話をせかした。それを見た祖母が祖父をたしなめる。実家にいるとよく見る光景だ。身内で取材ということで緊張していたが、見慣れた光景に力みがとれた。 祖父は昭和40年に本学に入学した。下宿先は都留第一中学校の向かいにあり、三畳半、家賃1400円の部屋だったという。現在の家賃の平均が3万から4万円台だというので、今との物価の違いにずいぶん驚いた。 「当時なんて風呂がないから銭湯に行ってたんだけど、冬なんてトンネルを抜けるころには髪が凍ってるんだよ。今ではいい思い出だけど」。そういう祖父に祖母も懐かしそうにうなずく。私も都留に来て、冬の冷たいというより痛みを感じる空気に驚いた。まだ家に風呂がついているぶん恵まれているのかもしれない。およそ60年の間に生活の質も上がった。 祖母が入学した昭和41年は、ちょうど本学が谷やむらまち村町から今の場所に移転をするころだった。20分の休み時間で新旧の校舎を移動しなければならず大変だったという。祖母は初等教育学科の音楽専攻だったが、本学には練習用のピアノが少なく、よく都留の人からピアノを借りていたそうだ。祖母も近所の子どもにピアノを教えるなどして、地域の人との交流がさかんだったと話す。「住んでいたところが都留食堂っていうところなんだけど、よく夜の残り物をくれてね。心配したり気にかけてくれたりして、親代わりみたいなもんだったよね」。都留の人は学生にあたたかかっ444444た4と目を細める。一人暮らしをする不安のなかで頼ることのできる人がいる環境が、どれだけ心強いことか容易に想像がつく。学びより遊び 祖父は趣味でよく山に登った。そこで祖母に出会ったという。しかし、大学の授業はさぼりがちだったと祖父は笑う。卒業するために必要な一般教養の英語の授業は4年生まで残っていて、祖母にノートを借りることもあったそうだ。その話を聞いて、若かりしころの祖父母に思いをはせる。後がなくなって頭を下げる祖父と、あきれたようにノートを入学する前から本学を知っていたのは、祖父母の母校だったからだ。幼いころに母から「じいじとばあばは富士山の頂上で出会ったんだよ」と冗談交じりに教えられてきた。じっさいの出会いは富士山の頂上ではないそうだが、本学で出会ったのは本当である。愛知県出身の祖父と岩手県出身の祖母は、都留でどのように出会い、過ごしたのだろうか。私も都留に来て一年が経つ。祖父母の思い出の地を巡ってみよう。

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