113号HP用
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19【参考書籍】『郡内の昭和』樹林舎2019年貸す祖母。その図が鮮明に浮かぶ。祖父母は大学を卒業してから約40年、ともに教師として活躍してきた。そのため厳しいところがある。しかし、今の私たちとあまり変わらない話を聞いて、祖父母も同じような大学生活を送っていたのだと親近感を抱いた。都留文科大学がつなぐもの 当時から本学には全国から学生が集まっていた。祖父は愛知県出身にもかかわらず、大学祭の徳島県人会で阿波踊りを踊ったこともあったそう。発表には70人ほど必要なところ、徳島県出身の人が20人ほどしかいなかったためだ。大学祭では阿波踊り以外にも全国の郷土芸能の発表があったという。私も見てみたかったと言うと、祖母は「今はもうないの?もったいないねぇ」と残念そうにしていた。 祖母はいまだに何人かの同級生と年賀状のやり取りをしているという。「今年(2022年)の年賀状には、孫が都留文に行きましたって書いたのよ」。まさか孫と都留の話ができるようになるとは思わなかったと祖父母は笑う。半世紀のときを超えて、都留が祖父母と私をつないでいる。 「ほら、トンネルの手前に洋食屋さんがあったよね。山やまいち一さんだっけ」「あぁナイフとフォークの出てくる」「あそこは特別なときにしか行けなくてねぇ」「1回お前と行ったよな」「お父さんが出してくれてね」。 都留での暮らしを思い出してきたのか、どんどん祖父母の会話が弾んでいく。いきいきと思い出を語る祖父母に、聞いている私まで楽しくなってくる。二人にとって今も色あせない大切な思い出であることが伝わってきた。何十年後に、こうして私も都留の日々を懐かしむ日が来るのだろう。足跡を巡る 今、祖父母の思い出の地はどうなっているのか気になった。そこで、祖父母の下宿先と二人が一緒に食事をしたと話していた、山一を訪れることにする。 まず、祖父の下宿先の正面にあったという都留第一中学校を目指す。国道139号線をまっすぐ歩いていると、都留トンネルが見えてきた。薄暗さに引き返したくなりながらも、えいやと踏み込む。車が横を通り過ぎていくたびにブォンという音が耳をかすめる。止まない轟音とひんやりとした空気に足を止めそうになりつつも、出口を目指す。 トンネルを抜け太陽の下に出た瞬間、ほっと息がこぼれた。すっかり冷えてしまった指先を温めつつ、一本道を進む。しかし、しばらく歩いても中学校が見えてこない。不思議に思い地図で確認すると、道を間違えていたようで、だいぶ前に通り過ぎてしまっていた。あわてて戻り、ようやくたどりついた。中学校の正面と思われる場所まで来たが、対面は菅すげの野川の河川敷となっていて、家があった気配すらない。祖父は本当にここから本学まで昭和41年の阿波踊りの写真。祖父は当時大学2年生だ。もしかするとこのなかに映っているのかもしれない
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