113号HP用
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no.113 Mar. 2023 20浅井祐音(学校教育学科1年)=文・写真①祖父の下宿先の推定地。都留第一中学校のグラウンドではソフトボールが行われていた(2023年2月28日)②鍛冶屋坂トンネルは歩行者用と車用に分かれている。歩行者用の足元は色分けされていた(2023年2月28日)③鍛冶屋坂トンネルのレリーフ。馬をひく人が描かれている (2023年2月28日)①③②通っていたのだろうか。なかなか昔の情景が思い浮かばず、実感がわかなかった。 帰りは近くの鍛かじやざか冶屋坂トンネルを通る。昭和43年に完成したとレリーフに彫ってあった。きっと祖父もここを通ったのだろう。髪が凍ったトンネルはここなのかもしれない。そう思うと壁のシミ一つひとつでさえ特別なものに感じる。 トンネルを抜け、そのまま道なりに歩いていくと、山一にたどり着いた。なるほど、祖父母の下宿先のちょうど真ん中あたりにあるのか。それは待ち合わせの場所にもなるだろうなと納得する。お店の外装は60年の間に建て替えられたようで、思いのほか新しい。祖父母の時代はどのような見た目だったのか気になった。 祖母の下宿先であった都留食堂は警察署の向かいにあったという。しかし現在ではそのどちらも見当たらない。祖母の話を頼りに、国道139号線を一本入った通りを歩いてみる。昔ながらの住居が並ぶ、静かな通りだ。祖父母も同じところを歩いていたと思うと、どこかにその面影がないか、つい探してしまう。何も知らなかったら通り過ぎてしまう場所も、祖父母の話を聞いてから歩くと、愛おしく見えてきた。* * * 私にとって二人は、生まれたときから祖父母であり、学生時代があったことは想像しにくかった。しかし、祖父母の話を聞いたり、じっさいに祖父母の足跡をたどったりしたことで、少しだけ祖父母の過去を垣間見ることができた。生活の質が違ったり、地域との関わりかたは変わっていたりするが、祖父母も今の私たちと変わらない大学生活を送っていたのだ。 祖父母が出会わなければ、私は生まれていない。当たり前であるが、私は今までそれを奇跡のように感じてきた。しかし祖父母にとっては、毎日のなにげない日常が積み重なった末の今なのだ。約60年前に都留で出会い、ともに過ごした二人の孫である私が今、都留にいる。私も祖父母のように、いつか誰かに今の日常を思い出として話せるような日々を送りたい。

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