113号HP用
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9金山神社入口ちかくの十字路 大学まであと15分だ。この十字路を通るたびにそう考える。本学の学生は、大半が大学周辺で暮らしている。しかし私は、大学から徒歩25分ほどのアパートに4年間住んでいた。誰にこの話をしても、なぜ引っ越さなかったのかと訊かれる。理由はいろいろあるが、登下校の時間でアニメを1本観るよりも、道すがらちょっとした「ときめき」を見つけることが楽しくて、どうしても引っ越せなかった。この十字路のすぐそばにある公衆電話に懐かしさを抱いたり、夜になると酔っ払いの騒がしい声が聞こえてきたり。お店や人の集う十字路には、ふふっと笑えてしまう日常のひとコマが詰まっている。ウエルシア都留店ちかくの十字路 ここをまっすぐ進めばお世話になった先輩の住んでいたアパートがあって、ここを右に曲がれば同期の住むアパートがある。今では手に取るように仲のよい人たちの家が分かり、同時にたくさんの思い出が頭に浮かんでくる。よく待ち合わせをしたし、昔は場所が分からなくてこの十字路まで迎えに来てもらったこともあったなあ。これは、人との距離が近い都留だからこそ、何度も起こり得る出来ごとだ。私たちは人に助けられながら生活している。そのことのありがたみに気づくきっかけは、すぐそばにあった。都留文科大学前の十字路 片田舎のまちから一人出てきた私は、都留と地元を比べて外を出歩く人の多さに驚いていた。とくに若者を見かけるたび、地元とは違うのだと実感する。学生のまちならではといったところだろうか。 なかでも、本学へと向かっていくこの十字路は、授業前後の時間帯を中心に多くの学生でにぎわっている。たまに知り合いとすれ違ったり、車に乗る友人が手を振ってくれたりと、偶然の出会いが生まれたときの喜びはひとしおだ。春休みになって、人と巡り会う機会がなくなってしまい寂しさが募る。私もここを通らなくなったので、歩行者用の押しボタンを押し忘れることも、車の青信号が変わっただけなのに間違えて渡りそうになることも、もうないのかもしれない。そんなことを考え、この十字路が意外にも思い入れのある場所だったのだと気づいた。* * * 十字路は、単に道が交わっているだけのものではなく、車だけが行き交うものでもない。交わっている道の上にお店や人との出会いがあって、生まれた営みが活気をもたらす。いつか漫画で読んだ、曲がり角でぶつかって生まれた運命も、道の交わりがあってこその出会いだった。都留の十字路を巡り、交わりの本質とは何かを肌で感じられた。 人やモノのあるところに名字は生まれる。私のご先祖様は「辻」の入「口」に暮らしていたのだろうし、そこで多くの出会いを経験してきたはずだ。きっと、彼らの人生は誕生とにぎわいであふれていた。私もこれまでにいろいろな人やモノと関わり、卒業を迎えるにあたって一つひとつの巡り合わせに思いを馳せている。これから先、この名字を持った一人として、誰かと誰かが交わるきっかけを生んだり、新たな人やモノとの交わりに飛び込んだりしながら、名は体を表すのだと伝えられる人生を送っていきたい。9写真はすべて2023年2月1日に撮影しました。

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