114号HP用
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じめる。赤いフィルターがかかったライトとLEDライトを取り出す。赤い光は動物を刺激しないらしい。準備をしていると、北垣先生が後ろの岩にオートミールを置いていた。オートミールにつられてやってきたアカネズミなどの野ネズミの観察も同時に行うそうだ。気づけばあたりは暗くなっている。腕時計の針がどこを指しているのか見えない。目を近づけてみると、18時43分を指していた。わずか10分足らずで日は沈んでしまったことに、時間の早さを感じた。夜を迎える それからしばらく経ち、いよいよ森が闇に包まれたので、赤いライトの光をつける。真っ暗だった世界にぼんやりと輪郭が帰ってくる。しかし、あたりを照らすには心もとない。 視覚が使えなくなったぶん、ほかの感覚が研ぎ澄まされていく。耳をすますと、川の音はひとつではないことに気づく。水を掻きわけるような音や、跳ねる音が聞こえてくる。そのなかでも一番大きく聞こえるのは水が落ちる音だ。すん、と鼻を鳴らせば、水と土のにおいが肺の奥深くまで広がる。地元の縁日のにおいに似ている気がして、懐かしさがこみあげた。 ふと、都留に来たばかりのころに東桂でクマが出たという防災無線の放送を聞いたのを思い出した。おそるおそる見回してみるが、もしクマが出ても気づかないだろうなと思うほど真っ暗で、何も見えない。望みを託すように、懐中電灯をギュッと握りしめる。真っ暗な世界で、知らない世界にひとり置いていかれたような気持ちにとらわれる。せめて音で分かったりしないかと耳をそばだててみても、川の音しか聞こえない。五感が研ぎ澄まされているのか、麻痺しているのかわからない。自分という存在すらあやふやになってしまう気がした。 とうとうメモ帳に文字を書くのが難しくなるほどあたりが暗くなってしまったので、携帯電話にメモをしようと電源をつける。画面の光を一番弱くするが、それでも直接見るのがためらわれるくらい眩しい。観察をはじめてから1時間が経とうとしていた。 遠くで飛行機の飛ぶ音がかすかに聞こえる。人の気配にほっと息をついた。人工の音が恋しくなったのは、はじめての経験だった。かわいい来訪者 またしばらく観察をしていると、北垣先生に声をかけられた。振り返ると、用意していたオートミールにネズミがやってきていた。片手に乗るほどの大きさで、指先と腹が白い。オートミールから少し距離を取り、体を伸ばしてすばやく取ると、元の位置に戻り両手で食べている。その愛らしい見た目や仕草に自然と笑みが浮かぶ。 19時50分。観察もあと10分だ。かわいい来訪者に緊張がほぐれたのか、今まであった、森に飲みこまれそうな不安がなくなっていることに気づいた。空を見上げれば、灰色の雲が浮かんでいる。遠近感さえわからなくなるほど暗い森よりも、空のほうが明るい。もし晴れていたらどのように見えるのだろう。次の観察に期待が高まった。 観察の終了する時間になった。ずっと怖いと思っていたはずなのに、この場所を去ることに名残惜しさを感じる。車内灯や、いつもなら頼りないと感じる街灯の明かりさえ、眩しくて目を細めてしまう。国道139号線なんて、光の洪水のようだった。
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