114号HP用
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41野坂梨衣(地域社会学科1年)=文・写真晴れた日の神社の境内のようす。神社の裏にはネコのエサがあった(2023年5月17日)静寂を知る鳥居をくぐった先には明かりがない。真っ暗ななか、境内へとつながる73段の階段を登る(2023年5月22日)都留に引っ越してきたばかりの3月末に、本学から東へ歩いて20分ほどの金かねやま山神社を訪れた。そのときは、山の急斜面と神社の階段の多さに怯え、境内まで入らずに帰ってしまった。それから1か月が経ち、今度こそは境内を見に行こうと張り切って家を出た。鳥居をくぐり階段を上りきると、社やしろがひっそりと建っていた。長い年月を経て、木材の茶色が深みを増している。空気が澄んでいてここだけ違う空間のようだ。曇っているせいか肌寒く、すうっと鳥肌が立つ。薄暗くて怖い。そんなとき、社の裏にネコのエサを見つけた。人の気配がなく、しんとしていて不安だったため、ネコがいることを知って少しほっとした。翌日、ふたたび金山神社に足を運んだ。階段を上り、境内へ入る。目の前の社は昨日と変わらないはずなのに、木々の隙間から日がこぼれていて同じものには見えなかった。風で木がゆれると日の光もゆれて綺麗でおだやかだ。空気の流れが止まっているかのように静かで、鳥の鳴き声や風の吹く音、遠くから車のエンジン音などが聞こえる。神社だけが世界から切り離されたようだ。これを静寂というのだろうか。地元の沖縄は、旅客機や戦闘機が上空を飛行していて、いつも音があった。日常生活のなかで静けさに触れることはほとんどない。国語の授業で「静寂」という言葉は習ったものの、じっさいに感じたことはなかった。今度は夜に訪れてみた。木々が黒々とそびえたち、神社を囲っている。明るいときには気づかなかった。階段は明かりがなく、真夜中の学校の廊下のようだ。肝試しに来ているような気持ちになる。静かなあまり、自分の息づかいだけが聞こえた。別世界に来てしまったようで不安になる。階段を上りうしろを振り返ると、車の走る音や電車が通過して線路がきしむ音が聞こえた。境内に入るとふだん生活しているときには気にも留めない音がよく聞こえてくる。静寂が、私の日常にひそむ音に気づかせてくれた。「目の前に見えることだけがすべてではない」という言葉を聞いたことがあったが、その意味が少しわかったような気がする。同じ景色でも、音に耳を澄ませると違った景色に見えることを金山神社の静寂が教えてくれた。

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