116号マスターHP用
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no.116 Mar. 202412へ入っていくと、待機していた子どもたちはいっせいに豆を投げ始めた。宗泰さんは金棒を頭の上に持ちあげて鬼役に徹している。最後は、子どもたちが声をそろえて「いい子になるよ」と宣言した。泣いていた子も鬼とハイタッチをしたり、豆をあげたりしてい祈祷を受ける人たちは赤いじゅうたんに座り、見学の人たちはその周りに座って、静かに祈祷の始まりを待つ。子どもたちは何が始まるのか分からないようで、キョロキョロとあたりを見回している。ドオン、と太い音が響き渡った。音がしたほうを見ると、赤鬼が本堂の隅で太鼓を打ち鳴らしている。太鼓が鳴りやんだあと、前方に住職さん、宗泰さん、三人の鬼が現れ、読経が行われる。祈祷の目的は心のなかの鬼を滅し、厄病退散を願うことだ。鬼が祈祷を行うというのは、なんだか面白い。祈祷を受ける人たちが静かに手を合わせるすがたは、とても清らかだ。見ている私の心も、きりっと引き締まってくる。祈祷が終わると、鬼たちがゆっくりと立ち上がる。豆まきの始まりだ。子どもたちは自ら鬼に近づいていき、なかには金棒を掴んでいる子もいた。そのあいだ、宗泰さんやほかの和尚さんが豆や駄菓子を投げてまわる。子どもたちは、持ってきた袋がパンパンに膨らむまで拾い集める。それを見守る宗泰さんたちの表情はとても柔らかく、楽しそうでもあった。ちゃうとだめなんでしょうね、子どもたちがいい子になろうと思うから、鬼も怖い存在ではなくなる」とおっしゃった。子どもたちがただ鬼を怖がるのではなく、鬼と会い、どう感じて変わろうとするか。それが節分会において、大切なことのひとつなのかもしれない。節分当日2月3日、桂林寺に着くと、果奈さんが本堂の前に集まった人たちの案内を行っていた。忙しいなかでも、果奈さんは私に気がつくと、今日はよろしくねと声をかけてくれた。しばらくすると続々と人がやってきた。高齢のかたから親子連れまで、幅広い世代の人たちが本堂に入っていく。「お寺離れ」という言葉があるほどだから、節分会に関わるのは限られた世代の人たちだけだと思っていた。年齢に関係なくいろいろな人が自由に集える場所があることに、心があたたかくなる。祈祷が始まる時間になった。私も本堂のなかに入り、入り口近くの畳に正座する。澄んだ空気に畳と線香の香りが漂っていて、気分が落ち着く。る。保育所の先生に、慣れるのが早いですねと声をかけると、「さっきまで泣いていたのにねえ」と目を細めていた。子どもたちが全力で行事を楽しむことは、先生たちにとって嬉しいことなのだろう。帰りぎわ、子どもたちが鬼と仲良くなった話をすると、果奈さんは「怖いだけで終わっ痛がるふりをする赤鬼(宗泰さん)。名演技が光る(2024年2月2日)節分当日
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