116号マスターHP用
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17火の用心のお祭り「儀秀稲荷社例大祭」は、1949年5月13日に起こった谷やむら村町まち大火がきっかけで始まったお祭りだ。火は谷村のまちをのみ込む勢いだったが、西凉寺にある儀秀稲荷のお社は焼けずに残った。奇跡ともいえるその出来事から、人びとは火伏せの神として儀秀稲荷を奉ったという。お祭りを立ち上げたのは「儀ぎしゅうこう秀講」の人びとだ。講とは、神仏に参拝へ行く人の集まりのことをいう。火事の被害にあったまちで暮らす人を中心に多くの人が講に入り、5月13日には、大火が繰り返されないことと、まちと人びとの安全を儀秀稲荷に願うのだ。すがや製菓店を通り過ぎ、つきあたった石畳の道を進んでいくと3つのお寺が並んでいる。いちばん北にあるのが西さいりょうじ凉寺だ。昨年まで「儀秀稲荷社例大祭」というお祭りが行われていたという。どんなお祭りだったのだろうか。思い出を持っているかたを訪ねてみよう。お祭りは1952年から始まり、2023年まで開催していた。しかし、人口減少や講の役員の高齢化で活動が難しくなり、2023年末をもって講の解散式を行った。住職の奥さんである奈なら良直なおこ子さん(52)が、『谷村町大火五十周年記念誌』という冊子を見せながらお祭りについて詳しく話してくださった。お祭りでは、特別祈祷を行うほかに、まちの人びとが楽しめるイベントがあったという。最近では、ビンゴ大会やカラオケ大会を開催するのが定番だったが、昔は地方巡りの芸人をよぶなどしてお祭りを盛り上げていたらしい。なかでも人気だったのは福引きだ。三さん町ちょう商店街のものが景品で、当時では珍しい洋服や洋傘は女性に人気だった。一等は金の小判で、当選者のなかには身につけて常に持ち歩く人もいたそうだ。お祭りの準備住職の母である奈良幸さちこ子さん(87)は、お祭りの思い出を聞かせてくださった。お話しが大好きで、私が来るのを楽しみにしてくれていたそうだ。テーブルには白黒の写真がたくさん並べられている。「谷村がひとつになるお祭りでした」−儀ぎしゅういなりしゃれいたいさい秀稲荷社例大祭−下:儀秀講の役員のかたがた(2019年5月13日)左上:踊り子(1967年5月13日)右上:儀秀稲荷のお社(1979年5月13日)

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