116号マスターHP用
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19が伝わってくる。ちなみに、「『十三』の市」と名前がつく以前には「びっくり大市」というイベントで、まちの外からもたくさんの人が訪れたそうだ。現在でも「『十三』の市」は続いており、毎月13日の朝にはお知らせの花火が上がるらしい。「『十三』の市」は谷村が文化の中心であることと、まちの人びとの活気を象徴するイベントだった。思い出が歴史になっていく火事のとき子どもだった人びとも今では70代以上だ。「この人はもう100歳になるの。市から表彰されていました」と幸子さんが紹介してくださった。「あの山(儀秀稲荷のお社がある場所)へ行くのもひと苦労の人が増えましたからね」と幸子さんは苦笑いを浮かべる。講のなかには遠くに住んでいるかたもいて、都留でお祭りの準備をすることが難しい。ふきんやお札を郵送するだけの関わりも増えていったそう。「時代の流れで、いままで家族単位だったのが個人単位になってきているのかな」と直子さんは話す。たしかに、今は一人で解決することが増え、人に頼ることが少なくなった。生活のなかで隣近所との交流の機会が減っていったのだ。直子さんは、今はお祭りの資料を整理しているという。「お祭りが復活することもあるのかな。分からないけど、大切な資料だからちゃんと整理しなくちゃね」と微笑んだ。机に広げられた写真、「火の用心ふきん444」やお札は、「儀秀稲荷社例大祭」という歴史を物語る資料になっていく。思い出が大切に残されていくと思うと、お祭りが終わってしまう寂しさも少し和らいだ気がした。***私は「儀秀稲荷社例大祭」に参加したことはない。しかし、幸子さんのお話を聞いて写真を眺めると、お祭りの日の賑わいを想像することができた。じっさいに使われていたものに触れると、人びとの願いが伝わってきた。出来事が終わって、知っている人がいなくなったとしても「そのとき」を切り取った記録があれば人びとは歴史を垣間見ることができるのだ。お祭りに参加したあとのような気持ちのまま西凉寺を出る。境内からは三町商店街を見渡すことができた。帰りは商店街を通っていこう。今はもう見られないお祭りの日を想像しながら、ゆっくりとまちの景色を眺めた。三町商店街の福引テント。本学の学生が手伝いに来ていた(2000年5月13日)福引をするようす(1979年5月13日)すべての写真は西凉寺さんに提供していただきました。渡邊結佳(国文学科2年)=文

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