116号マスターHP用
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古地図を見ていると、桂かつらがわ川はあったが谷やむら村を中心に流れる家かちゅうがわ中川は載っていない。家中川は存在していたのだろうか。また、家中川は人びとにとってどのような存在だったのだろうか。じっさいにまちを歩いてみることにした。がつなぐ川昔と今田原橋の横に造られたゴミ収集場。どうやってゴミを入れるのだろうか(2024年2月9日)たりとした流れのなかで鯉が優雅に泳いでいたりする。水面に太陽の光がきらきらとかがやいていた。もっと川のようすを知りたいと思った私は、まだまだ寒い日が続くなか、谷村を歩いてみることにした。商店が集まる通りを歩いていると、道路の下を川が流れていることに気がつく。橋が道の一部としてつながっており、名前を「田たはら原橋ばし」というそうだ。橋の下の土台には「家中川」と書かれている。驚いたのは、川の上にゴミ収集場があることだ。鉄骨を何本か川に渡らせて、収集場を支えている。はじめは橋の上に設置されているのかと思っていたが、下からのぞき込んでやっと気がついた。さらに田原橋の脇道を進むと、川が家の下を通っている場所もあった。家が崩れたりしないのだろうかと心配になったが、どうやら川に面した土台は鉄材を使って安定させているようだ。このあたりは川幅が4メートルほどある。川の流れが速いため水しぶきが上がり、川が白く見える。それほど流れの速い川のすぐ横に、家があって人が暮らしている。どうしてここに家を建てようと思ったのだろうか。歩いて見つけたもの国道139号線から枝分かれする道を左に進むと、道の右側には家中川が流れていた。川都留を流れる家中川家中川は、谷村藩主であった秋あきもと元泰やすとも朝によって江戸時代初期に造られた用水路だ。家中とは家臣のことで、谷村城の周りにある家臣の屋敷地を流れていたことから、そう名づけられた。城下町だったころの名前が今でも変わらず使われていることに、当時のなごりを感じて嬉しくなる。本来の由来とは違うが、まちの中心を流れる川という意味にもとれる「家中川」という名前が、私は好きだ。家中川ができる前、都留の地域は平坦で水が満足になく、稲作をはじめとした農業に適した土地ではなかったそう。そこでか····んがい事業として水路の開発が始まった。暮らしのとなりを流れる谷村を歩いていると、どこを歩いていても水の音が聞こえてくる。道のすぐ脇には整備された川があり、勢いよく水が流れていたり、ゆっ

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