116号マスターHP用
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9左:歩いていると見えないが、道の下にも川が流 れている(2024年2月9日)右:家に入るために架かる橋。家によってはいく つも架かっていることもある。道と家の間に家 中川が流れている(2024年1月25日)幅はさっきよりも狭い。どうして急に狭くなったのだろう。ふしぎに思って下をのぞき込むと、川が道路の下にも広がっていた。歩いているときに川として見える範囲が1メートル50センチほど、そして道路の下にも同じくらいの幅があり、合わせて3メートルほど川幅があった。つ橋ができたのだろうか。家に合わせて橋が造られたのか、それとも以前からあった橋に合わせて家が建てられたのだろうか。私が川をのぞき込んだり、手を広げて橋の長さを測ったりしていたら、庭先で話していた二人の女性と目があった。「こんにちは」と挨拶して、川について調べていることを話したところ、知っていることを教えてくれた。お話をうかがったのは椚くぬぎはら原栄えいこ子さん(84)と好よしこ子さん(79)。二人は60年ほど前に、都留にお嫁に来たそうだ。本当の姉妹のように、仲が良さそうにお話ししていた。突然話しかけた私にいやな顔ひとつせず、「何年生なの」「地元はどこ」と聞いてくださり、私もリラックスした気持ちでお話をうかがうことができた。「この橋はそれぞれの家に合わせて造られているのですか」ときくと、それぞれの家が河川許可証を得て造ったものだと教えてくれた。橋を使うため税金を払っているそうだ。橋が等間隔に並んでいない理由に納得した。川にのこる記憶栄子さんと好子さんの家は隣り合っている。もともと30年ほど前までは、二人の家とその隣の家の3軒分が、「鹿かしま島屋や」というスーツの裏地を生産する織物工場だったそうだ。工場では一時期、女工さんを50人ほど雇っていたそう。女工さんたちが目の前の家中川を泳いでいたと聞いたこともあるという。「当時はそれほどきれいだったんだろうね」。栄子さんの話を聞きながら、私もそのころのようすを想像してみる。今でも透き通っていてきれいな家中川だが、当時は今よりもゴミが少なく、もっときれいだったのかもしれない。今は、川は近づくと危険だとされており、近づくことを禁止する看板を見ることもある。当時はそういった決まりはなく、川はそこに住んでいる人びとにとって共通の財産のような認識だったのかもしれない。今よりも川との距離が近い当時の生活が、うらやましくなった。「うちは織物工場で、そこの家は染色工場で」と向かいの家やとなりの家を指でさしながら教えてくれる。どうやらこのあたりは織物の生産が盛んな地区だったようだ。「みんな使った水をこの川に流して」という二人の話から、工場があった当時のまちのすがたが思い浮かんでくる。工場から機械の音が聞こえてきて、子どもが川遊びをしている。お昼の休憩時間には、道路を整備するときに十分な広さがなかったために、このような造りになったのだろうか。家と川の距離が近い、谷村だからこそ見られる光景かもしれない。さらに歩いていくと、家の玄関の前に架かっている橋のようすに疑問を持った。等間隔というわけではなく、それぞれの家の大きさに合わせて橋の幅も変わっている。い
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