117号HP用
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17記憶のなかの花大手通りは、都留市立図書館と都留市立谷村第一小学校のあいだを通る。現在は、桜に代わってポールが並ぶ(2024年6月29日)私は、本誌﹃特別号暮らしのそばでつながる記録﹄(2024年3月19日発行)において、戦前の大手通りのようすについて記事を書いた。当時の写真を見ると、道の両側に桜の木が立っていたことがわかるが、現在は、当時の面影はほぼない。モノクロの古写真からでも伝わる桜の美しさに惹かれ、当時の桜を知るかたを訪ねることにした。自然のままに私の並木のイメージは、枝が剪せんてい定されていて、人の手によって整えられているというものだった。しかし、古写真を見ると、桜の木がそれぞれ枝を交差させながら、思いのままに育っているように見える。当時はどのように桜の木が管理されていたのか渡邉さんに聞いてみる。すると、古写真に目を落としつつ「記憶の限りでは、特にきわ立った手入れがされていたようすはなかったな」と教えてくださった。「自然に近い状態だったんですね。それはきれいだったでしょう」と言うと、「そうだね、だから記憶に残っているのかもしれない」と少し顔をほころばせた。渡邉さんが大手通りの桜に親しみをもっていたことが伝わってくる。「当時の大手は砂利道でね、今のように舗装されていなかった。車も走っていなくて、人がちらほら歩いている感じだったね。だから、桜並木もあいまっておだやかな雰囲気だった。荷車が置かれていたり、焼き芋屋さんがいたり、干物屋さんが干物を干していたりしていた」。大手通りに桜があったころは、現在よりもゆっ通学路を彩る桜大手通りのすぐそばで渡辺酒店を営む、渡わたなべ邉孝たかよし義さん(82)にお話を聞くことができた。渡邉さんは昭和17年生まれで、大手の桜をじっさいに見たことがあるという。渡邉さんは「昔のことだから、もしかしたら違うかもしれないけれど」と前置きしつつ、私の持ってきた古写真と古地図を頼りに、当時の大手通りについて語ってくださった。渡邉さんは、小学3、4年生のころに見た大手通りの桜が強く印象に残っているという。「きれいだったよ、通りに沿って数本並んでいてさ。当時自宅が大手通りに面していて、2階から眺めることができた。それに、大手通りの先に小学校があったから、友だちと桜並木のなかを通とおって小学校に通かよっていたんだ」と昔を懐かしむように教えてくださった。渡邉さんが小学3、4年生ということは、昭和27年ごろということだ。古写真は戦前に撮られたものだが、戦後もしばらくは大手通りに桜の木が残っていたのだろうか。写真だけではわからない空白の部分が埋まっていくようで、お話を聞くのはとてもわくわくする。
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