117号HP用
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18no.117 Jul. 2024残っていてうれしくなる。帰りに、裁判所の前を通って、桜の木を見ていこうと決めた。切られた桜並木当時の大手通り周辺により興味を持った私は、長ちょうあんじ安寺の元住職である花はなぞの園光みつあき明さん(88)にお話をうかがうことにした。長安寺は、大手通りから徒歩3分ほどの場所にある。花園さんは昭和10年生まれで、戦時中の大手通りについて教えてくださった。花園さんは大手通りの桜並木については記憶に残っていないという。「どうも私は、大手通りで桜が並木になっていたっていう記憶がない。砂利道だったっていうのは覚えているのだけどね」と古写真をじっと見ながら語る。渡邉さんのお話と食い違いがあるので、少し戸惑ったが、くわしくお話を聞いてみることにした。私が「どうして木が切られたのでしょう」と聞くと、「戦争で使うために切られたんじゃないかな。当時は何でも不足していたけど、薪になる木もなくてね。ただ、私も木を植えてたことがあるけれど、昔は木を切っては植えて、切っては植えていたから。いつなくていつあったかは定かじゃないよ」とおっしゃった。たりと道が使われていたようだ。当時の人びとにとって、道は通るだけのものではなく、生活の場でもあったのだろう。そして桜の木が、そういったまちの在りようを象徴していたのではないだろうか。変わりゆくまち並み渡邉さんは、桜の花が咲いているのを見た記憶はあるそうだが、桜の木が切られているのを見た覚えはない。なぜ切られたのかもわからないのだという。ただ、桜があったころと比べ、桜がなくなったあとの谷やむら村のようすは激変していったのだとか。「昭和50年代に入って車がだんだん普及していくと、道が舗装されたりしてまち並みも変わっていったような気がするよ」。時代の移り変わりのなかで、大手通りもすがたを変えていったのだろう。そんな変わりゆくまち並みのなかでも、昔の面影を感じることができる。「当時は裁判所のまわりにも、ぐるっと桜の木がいっぱい立っていてね。それも今はないけれど、前庭に立っている木はその名残りじゃないかな」と教えてくださった。古写真と現在のようすを見比べ、まったく違うと感じていたが、少しでもその面影が大手通りの四季季節によって大手通りの桜は違った表情を見せていた。春は花びらが道を覆い、花が散ると青葉が茂り、冬になると枝々の先に雪の花が咲く。「櫻」「青葉の頃」
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