117号HP用
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19花園さんのお話から、もしかしたら、大手通りに桜が常にあったわけではないということがわかった。都留にも戦争の影響がおよび、人びとが必要に駆られて木を切ったのだろうか。生活のすぐそばにあるからこそ、その影響を受けやすかったのだろう。桜のなかの入学式花園さんは、大手通りのすぐ先にある小学校に通っていた。そこに植えられていた桜が、強く印象に残っているそう。「桜の花が咲き誇っているなかで、小学校の入学式をやったんだよ。とってもきれいでね。小学校の前にある道に沿って校庭に桜の木が並んで立っていて。たくさんあったと思うな」と笑顔でくわしく語ってくださった。さらに、「当時は小学校に立派な門があってね。門を入ったところに奉ほうあんでん安殿(※)があった。毎日お辞儀をしてその前を通るんだけれど、そのまわりにも桜の木があったんだよ」と、戦前の小学校のようすについて教えてくださった。花園さんがいきいきとお話ししてくださるのを見て、年月が経っても人の心を揺さぶる桜の魅力を、あらためて実感する。やはり子どものころに見た情景は、記憶に残りやすいのだろう。現在は小学校のようすもだいぶ変わっているが、桜と入学式の組み合わせは、いつの時代も春の風物詩のようだ。* * *古写真のなかのモノクロの桜は、私を惹きつける。目の前で咲く桜のほうがずっと色鮮やかだし、匂いをかいだり手で触れることができる。それにもかかわらず、私は古写真のなかの桜をじっと見てしまう。当時の都留では、人のごく近く、人の生活のなかで桜が咲いていた。大手通りに桜があったころは、もっと草花と人の生活の距離が近かったのだ。だからこそ、半世紀近く経った今でも、桜の花が渡邉さんと花園さんの記憶を彩り、より印象に残る大切なものにしているのではないだろうか。今ある風景は、決して永遠のものではない。しかし花には、人の記憶に残り続ける鮮やかさや力強さがある。古写真を手にまちを歩けば、そのすがたがありありと目に浮かぶ。来年の春は、カメラを持って花見に出かけてみよう。「落葉の頃」「雪景色」北原日々希(地域社会学科2年)=文・写真【参考書籍】『奥隆行写真コレクション』都留文科大学地域交流研究センターフィールドミュージアム部門2012年※「」は各写真につけられたタイトル※奉安殿…天皇皇后の写真と教育勅語を納めていた建物
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