117号HP用
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41もアオダイショウのほうが多かったのよ」と奥さんが言うくらい、ヘビがよく出たという。オレンジロードは今よりも細かったそうだ。今、お二人の家のまわりにはアパートが立ち並び、道もコンクリートで舗装されている。ヘビが出ていたなんて、想像もつかない。古写真から記憶をたどる「当時の都留のようすが写っている写真はありますか」とたずねると、2階にアルバムを取りに行ってくださった。そうして5、6冊、ページをめくりながら写真を探してくれた。結婚式や新婚旅行、社員旅行の写真が並ぶ。お二人の面影を探すのが楽しい。当時の写真は人物を中心に撮ったものが多く、風景だけを写したものがほとんどなかった。写真を撮ることが今よりも特別だったからだろうか。それでも、少しでもまちのようすが写っている写真を探してくれる。これはどうかしらと、奥さんが都留病院の入り口での一枚(右ページ)を見せてくれた。玄関の前に立つのは、当時の奥さんだ。奥さんは岩手県出身だ。山梨県の病院の働き手が足りていなかった時期に、山梨県に越してきた。そうして、都留でいちばん大きな病院である都留病院に勤めることになった。奥さんを皮切りに、岩手県から何人も都留へ越してきて、一時期は岩手県出身の職員がたくさんいた。「昔は(個人が営業する)私立病院が少なかったから忙しかったのよ」。病院の規模が大きかったため緊急外来も受け付けており、病床は50床から60床あったそうだ。他県から越してきた奥さんを、同僚や院長家族はあたたかく迎え入れてくれた。一緒に旅行へ連れて行ってくれるなど、とてもよくしてもらったという。お二人の話によると、都留病院は谷村にある「さんちょう商店街」に面していたそうだ。かつて、さんちょう商店街は都留の中心地だった。「商店街には十とみ三の市というものがあってね」と奥さんが教えてくれる。田中さんも「谷村のまちが大火でみんな燃えちゃってね」と、火災があったことを忘れないように、毎月13日に市をやっていたことを語ってくれた。みんなが行って、すごくにぎわっていたのよ、とお二人が楽しそうに振り返る。***アルバムを眺めながら、奥さんが何気なくおっしゃった言葉が心に残っている。「久しぶりにアルバムを開いたよ。写っている人はもうほとんど亡くなってしまったけど、こうしてたまに見ると楽しいね」。写真は撮って終わりではない。写真に残すことで、いつでも「そのとき」に戻ることができる。それに、写真があったからこそ、当時の都留を知らない私もその風景を想像できた。私にとっては当時のようすを思い描く手がかりになったのだ。写真は過去と現在をつなぐ存在なのだと、お二人の写真が教えてくれた。かつて都留病院があったと思われる場所に、現在は大おおと戸内科医院がある(2024年6月11日)

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