118号hp用 圧縮
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36no.118 Dec. 2024ショーケースにおせんべいが並ぶ。店内に入って右手の壁には、これまでに取材を受けたときの写真や新聞が飾ってある(2024年9月20日)い調整が必要なのだという。20年近くおせんべいを焼き続けている綾子さんでも、いまだに苦労する部分だそうだ。商品を見るだけではわからなかった、真剣な表情でおせんべいを作る綾子さんのすがたが目に浮かんでくる。たとえ大変でも作りかたを変えないのは、お客さんが「またこのお店に来たい」「またあの味が食べたい」と思ったときに、昔と同じ味を提供するためなのだ。受け継いでいく綾子さんは、創業者であるおじいさんにおせんべいの焼きかたを教わった。おじいさんは96歳で亡くなったが、93歳くらいまでおせんべいを焼いていたという。根っからの職人だったと茂子さんは懐かしむように話してくれた。「おじいちゃんは自分の代でお店をたたんでもいいと思っていたみたい」という綾子さんの言葉は意外だった。今ではスイッチで簡単に火加減を調整できるが、炭を使っていたおじいさんの時代はそうはいかない。「私の何百倍って、同じおせんべいを作るにも大変だっただろうし。あんまり誰かに(継いでもらう)ってことは考えなかったのかなって」と綾子さんは言う。「私がやらなきゃ、泉屋のおせんべいはなくなってしまう」という思いからお店を継いだ綾子さんにも、困難な時期があった。お店を継いですぐに新型コロナウイルス感染症が流行したのだ。箱入りのおせんべいの注文が入ることが多い祭事などが減り、来店するお客さんも少なくなって大変だったそう。長年お店を続けていくなかでは、その時代なりの苦労があったことがうかがえる。おじいさんがテレビの取材を受けたときには、「毎日毎日うまくいくわけじゃない」「何年経っても修行だね」というようなことも言っていたそうだ。70年のあいだに環境は変わったこともあるだろう。しかし、お店そのものやおせんべいの基本的な作りかたは変わらない。そこには、何十年もおせんべい作りと向き合う、地道でていねいな手仕事と、「変えない」というまっすぐな思いも受け継がれていた。* * *綾子さんは、山椒味はインパクトがあるんだろうねと話す。けれども、年月が経っても泉屋の味が多くの人の記憶に残っているのは、それだけが理由ではないだろう。きっと、泉屋の味を守るという決意の「かたさ」も受け継がれているからなのではないだろうか。このお店に行けば、またあの味が食べられるという安心感は、短い年月で生まれるものではないはずだ。ただ同じものを作り続ければいいわけでもない。おせんべいを焼くたびに、歴史ある味とお客さんに向き合っているから、その安心感は積み重なってきたのかもしれない。勉強でも趣味でも、継続する意思を保つのは簡単ではないと思う。日常のささいな習慣を続けることでさえ、私にはとても難しい。それでも、信念をもって続けられる何かがあるかもしれない、と思えるようになった。
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