フィールド・ノート No67
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FIELD.NOTE14板をカッターで形づくる。つくり方から考えたくて、あえて説明書を見ずにとりかかった。 薄い板をじっくりと見つめてつくりたい形をイメージし、じっさいに握ってみて、持ちやすいように削る。思い描いたものを形づくるのは楽しい。そろそろ終わりにしようかと思っても、なかなか手が止まらなかった。 不思議だったのは、ものづくりの楽しさをひとつ味わったあと。棒付きのアイスを食べ終えて、ふとアイスの棒に目をやる。角の丸くなった小さな板が、ぱっと小さなバターナイフになった姿が頭に浮かんだのだ。 鈴木さんを見ていると、材を見つけることは、自分だけのとっておきを見つけることでもあると思う。あぁでもない、こうでもないと手を動かしてものをつくっていると、新しい「材料」が目に入ってくるのだ。 今思えば、鈴木さんのうれしそうな顔はどこか得意げだった。私自身、胸を張って自慢できる「材料」を見つけて、鈴木さんのあの笑顔に自分も近づきたい、そう思った。 右:イベント用に頼まれてつくったという、針金のテーブルセット。中央のイスは富士山を模している / 左:下吉田のお店に並ぶトタンの入れもの。8ページの写真も同じ石川あすか(社会学科3年)=文・写真くっていたのだ。「燃(や)すか彫るかの違いだから」。鈴木さんは私が驚いているのを、おかしそうに笑いながらいう。 薪ストーブの横にそのまま置いてある板も、かつては鈴木さんの家の一部だった。目の前にあるスプーンが、その昔、足で踏んでいた板とは不思議な気分だ。鈴木さんの出した箱には、木の枝でつくった笛も入っていた。親指くらいの大きさで、芯をくりぬいてある。これは庭の枝を剪定したものだそう。「材料はいくらでもある」 顔をほころばせて「材料」の話をする鈴木さん。床板をスプーンにする見方や、庭の木を笛にする視点。鈴木さんは、自分だけのとっておきの秘密をもっているみたいだ。うれしそうな笑顔がうらやましい。 お礼を言って鈴木さん夫婦のお宅をあとにする。振り返って見た家は、庭の木というより「材料」に囲まれて見えた。「材料」を見つける楽しみ 鈴木さんのお宅を訪ねた翌日。私は木でバターナイフをつくった。手のひら大の平らな

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