フィールド・ノート No67
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FIELD.NOTE32第11回H・D・ソローが『ウォールデン 森の生活』(今泉吉晴訳、小学館)で示唆した散歩のほんとうの意味とは何か。散歩をとおして見えてくるものとは。私たちは歩くことで、変貌する自然やまちの今を記録し、フィールド・ミュージアムのたのしみを報告していきます。●文・写真 西教生(河口湖フィールドセンター 自然共生研究室)毎日、見ることウォールデン 森の生活』を読んでいると、文字を追う目の止まるところが何箇所かあります。たとえば、第1章のつぎの部分。「私たちは、多くのことを知っているといっても、大部分は思い込みです。知るということは、私たちが人に聞き、書物で読んで想像で理解していた事実を、自分の経験で理解した事実にするという作業です」(第1章 経済 21頁)文字を追う目が止まるのは、そこが自分にとってひときわ重要な箇所だからでしょう。私は、野外で生きものを観察して、彼らの暮らしを知っていきたいと思い、山を歩いています。彼らの暮らしを知るには、それを見ないといけません。「自分の経験で理解」するためには、毎日でも山に出かける必要があります。図鑑や専門書には、さまざまな生きものの生活史が記されており、それは大いに参考になるものの、疑問に思うすべてのことには答えてくれません。こんなとき、私たちが手にしている知識は、ほんとうにわずかであると認識するわけです。これは、どの学問分野にも共通のことではないでしょうか。野外で生きものの観察をつづけると、いろんなことがわかってきます。目で見える出来事は把握しやすく、興味のある事柄はなおのこと深く理解できるものです。野外観察のいいところは、観察の対象になっているものはもちろんのこと、それを取り巻く環境にも関心が広がることです。多くの生きものは、ほかのさまざまなものと関係しながら生きているため、広く見ていかないといけません。観察を上書き動物を観察しているときによく思うのですが、その姿をずっと見せてくれるものはほとんどいません。ですから、断片的な観察になってしまいます。これでは生活の一部しか見えないため、彼らの暮らしの全体を知ることは困難です。もっと長い時間、観察を重ねる必要があります。観察時間を増やす方法のひとつは、毎日、山に出かけることです。私は10月からほとんど毎日、鳥を見ることを心がけてきました。そこでわかったことはいくつかあったのですアカマツの種子をくわえたコガラ
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