フィールド・ノート No67
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FIELD.NOTE8術作品も違って見えてくる。細かいところに宿る芸術家の心を見逃さないようにしたい。鑑賞する側しか知らなかったときには考えなかったことだ。そして、驚くのと同時に共感している自分にも気づいた。私もうまい文章を書きたいと思う一人として、言葉の一つひとつに自分なりのこだわりをもっている。言葉のもつ力を借りながら、自分の力で繋ぎ合わせていくところは、もしかしたらモザイクアートと似ているかもしれない。文字と絵画という違いはあるものの、表現する者同士なのだと考えたとき、以前よりも芸術が身近に感じられるようになった。私も自分にしか書けないものを大事にしながら、もっともっと言葉の力を引き出すような文章を書いていこう。自分の遥か先を走る「先輩」を見ながら、そう思うのだった。強く主張する作品を幾度となく目にしてきた橋村さんは、そうではない作品をつくりたいと言う。じっさい、『 』も大きな作品なのに、まるで最初からそこにあったかのように馴染んでいる。そして、年月が経てば石の表情もまた変わる。床に貼ったモザイクは道ゆく人々の足跡にもまれ、しっとりとしてくるらしい。作者の手を離れてからもなお変化していく。それもモザイクアートの魅力なのかもしれない。 一度、白い壁に白い素材で作品をつくってみたいのだとか。「そんな注文をしてくる人はいないけど」と橋村さんは苦笑いをした。「欠片」を繋ぐ 芸術家と呼ばれる人に直接会ったのは今回がはじめてだ。これまで私は芸術に対して見る側の人間であるという意識が強かった。芸術家は自分とは縁遠い存在だったのだ。 けれど、橋村さんの話を聞いたり、作品を見せていただいたりして、素材や作品へのこだわりに驚いた。どんな色をつくるのか。どこにどの色を置くのか。欠片の一つひとつへのこだわりが集まってできたのが橋村さんのモザイクアートだ。今まで漠然と見ていた芸アトリエに飾ってある、大理石だけで作った作品を見せていただいた。赤から橙へ、橙から赤へ。温かみのあるグラデーションが心を落ち着かせる。橋村さんが自然の力と言っていたように、石の色は人間の手ではつくることができないものだ。けれど、石の塊のままではこのグラデーションは見られない。自然の力と橋村さんの力が合わさったとき、はじめてモザイクアートという作品が出来るのだろう。 橋村さんの作品は、作品の周囲の環境との調和を大切にしている。依頼主からは「せっかくつくるのだから、目立つようにして欲しい」と言われることが多い。これまで自分をモザイクアートに使う石を割る橋村さん橋村元弘 プロフィール1943年生まれ。多摩美術大学卒業後、アニメーターや映画の美術監督助手を経て、モザイクアート制作会社に勤める。のち、75年に独立。91年都留市朝日馬場にアトリエをかまえ、以後都留を拠点に活動している。WA
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