フィールド・ノート68号
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風が冷たく一段と冷え込んだ1月15日、大学から新町を目指して歩き出す。最近、私の移動手段といえばスクーターを使うことが多かったけれど、この日は歩こうと決めていた。歩かなければ見逃してしまうものがあると思ったからだ。とはいえ、明確な目的地というものはない。あらかじめ都留市消防署のあたりが新町ではないかという情報を得ていたので、その近辺を目指して歩くことにした。  「富士みち」と呼ばれる国道139号線沿いに進んでいくと、古い木造の民家や、白い漆喰の土蔵などが点々と残っていることに気づく。まるでそこだけ時間が止まったように見える古いたたずまいは、周りの新しい建物に囲まれながら、かつての街並みを彷ほうふつ彿とさせてくれる。 大学を出発してから30分。消防署の近辺までやってきたとき、1mにも満たない小さな石の道標が目に留まった。スクーターを運転していたら気づかなかったかもしれない。少し腰をかがめて見てみると、その正面には「新町」の文字が刻まれている。思いがけない発見から探していた新町にたどり着いていることを知り、また少し写真のなかの街並みに近づけたようで嬉しかった。古い写真が撮影されたのはどこだろう。あたりを見回しながら進んでいく。幼いころに経験した宝探しのような楽しさが私の足取りを軽くした。 この道標から目と鼻の先に、旧仁にしな科家住宅を活用した都留市商家資料館がある。以前から一度行ってみたいと思っていた私は「入館無料」の文字に誘われるまま立ち寄ることにした。そしてこの資料館で、また思いがけず写真が撮影された場所に近づくことになる。 土蔵造りの館内をひと通り見学し終えたあと、館長の藤ふじもりとしみつ森利光さん(63)にお話を聞くことができた。突然の訪問にもかかわらず資料や地図を取り出しながら丁寧に対応してくださった。を持って写真街を歩く新町通り『奥隆行写真コレクション』(本学フィールド・ミュージアム所蔵)のなかの一枚。当時新町には郵便局があり、写真中央にはその局前看板が見える。また、通りに敷かれた線路は「テト馬車」と呼ばれた馬車鉄道のもの。明治43年(1910) 撮影百年ほど前に撮影された街並みは、今どうなっているのだろう。当時の面影を伝えるものが今でも残っているのだろうか。現況をじかに確かめるべく、古い写真を片手に街を散策することにした。牛丸景太(国文学科1年)=文・現況写真

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