フィールド・ノート68号
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15 「もともとここの生まれじゃないんですよ」と語る藤森さんは、現在の北杜市出身で、40年ほど前に中学校教員として都留に赴任してきた。そのころは街に下宿屋を営んでいるところが多く、ご自身は八百屋の二階に下宿したことがあるという。かつて商家資料館になる前は、仁科家の二階にも学生が下宿していたそうだ。また、織物をやっている工場が何軒かあって、街なかを歩いていると機械化された織しょっき機の音が聞こえたのだとか。人の手足で動かす手織機とはまた違う、忙しい機械音が響いていたことだろう。 ストーブを囲んでお話を聞きながら、携えてきた「新町通り」の写真をお見せした。すると、写っている街並みはまさに資料館があるこのあたりではないか、とのこと。どうやら大月方面にむかって撮影されたらしい。じっさいに確認してみようということになり、藤森さんと二人で国道の脇に立って撮影された場所を探してみた。遠くに見える山はその昔「はげ山」だったそうだが、今では木々が生い茂っていて、その形をはっきりと確認することはできない。だが、ゆるやかな稜線や窪んで谷になっている箇所がたしかに写真のものと似ている。どうやら撮影されたのはこの資料館の付近で間違いなさそうだ。 現在、このあたりはコンクリートの建物や真新しい家々が建ち並び、道には歩行者すれすれに車が通過していく。なかには古い建物も残っているが、百年という長い年月のあいだに街並みはだいぶ変化してきているようだ。往時の面影が失われていくことには一抹のさみしさも感じる。けれど、時代の変遷とともに街並みが移り変っていくのは当たり前のことかもしれない。 そのなかで私を含めた後世の人たちは、写真をひと目見るだけで当時の建築様式や服飾、交通のようすが手に取るように分かる。もし、この写真が切り取った一瞬の風景を文章で伝えるとしたら、いったいどれだけの語を駆使すればいいのだろう。 百年前、写真のシャッターを切った人物がどんな意図で撮影したのかは分からないけれど、当時の街の雰囲気や生活感といったものは、写真だからこそ伝えることができるのだと思う。 写真を見つめる視線を目の前に広がる街並みに移してみる。百年前の人たちがこの風景を目の当たりにしたら、どんな感想をもつだろう。そう考えながら昔の人になりきったつもりで街を眺めてみる。すると、アスファルトで舗装された国道やその上を走っていく車の往来、コンビニがある見慣れた風景もなんだか新鮮に、今までよりも際立って見えてきた。 一枚の写真に導かれ、昔の面影を探すことから始まった街の散策は、見慣れた風景や当たり前のように感じている今を見つめ直す小さなきっかけを私に与えてくれた。現在の新町のようす (2011.02.01)仁科家は都留市内で織物業が盛んだったころ、絹問屋として栄えた家で、都留市商家資料館(写真右側の建物)となっている旧住宅は大正中期に建てられたもの。都留市郷土研究会の皆さんへの聞き取りによれば、かつて新町にあった郵便局はこの商家資料館が建っている場所にあったそうだ。メ モ

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