フィールド・ノート68号
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FIELD.NOTE26応募した。この組合で働いているほとんどの人がそのときに一緒に入った同期で、いちばん長く働いている人でも3年くらいだという。芦沢さんが最年長だ。この3年の契約が終わったら、続けるつもりはない。ちょうど70歳にもとどくので、やめようと思っている。 私がこれまでお会いしてきた木に関わる人は、昔から長くその仕事を続けてこられたかたばかりだったから、驚いた。いろいろな、関わりかたがあるのだ。木との向き合いかたはさまざまだ。長くやってきた人もいれば、最近始めた人がいる。趣味で始めた人、たまたま就職した人。昔から当たり前に仕事としてきた人。それぞれ、でてくる言葉は違う。どうして木を切るのか 芦沢さんのお話は、組合の仕事のなかからでてくるあっさりとしたものだった。仕事だから木を切る。雨の日は椅子をつくる。特別な理由はない、という。「ただ切るだけ」。 私はどうだろう。高校での林業や木工の授い。けれども「こだわり」のようなものが聞けることをどこかで期待していた私に、芦沢さんの言葉はすんなりと入ってきた。なぜだろう。 じっさい、謙遜でもなく、その言葉どおりなのだろう。けれども「話すことはない」といいつつも、椅子について具体的にたずねれば、はっきりとした答えが返ってきた。樹種選びの理由からは、使う人のことを想像してつくっているのだということが感じられた。仕事だからこそ個人的なこだわりはない。いっぽうで、仕事だからこそ、きちんと向き合っているのだ。  ふだんは、都留市、旧秋山村、道志村、西桂町などにまたがって、周辺の山の手入れをしている。冬は間伐、夏は下刈りが主だ。山で作業ができない雨の日に、椅子をつくる。 芦沢さんがこの仕事を始めたのは、一昨年からだという。それまで西桂町で測量機械の販売をしていたが廃業し、たまたまこの森林組合で募集があったので、息子さんと一緒に業以来、「木を切る」ことに関心を持ってきた。数えるほどしかないが、じっさいに「木を切る」経験を重ねるなかで感じるのは、自分より圧倒的に大きな、長い時間を生きてきた存在に対して立ち向かう、畏れや必死さのようなものだ。どうして木を切るのかと考えてみる。たぶん、木に向き合うことをとおして、向き合う自分がどんな人なのか、見えてくるような気がするからだ。たとえばそれが、椅子づくりや作品づくりを通して表れてくるように思う。 だから私は、木を切る。椅子をつくる。ほかの人がどんなふうに向き合っているのか知りたくて、木に関わる人に会ってみたくなる。靴箱の前に置いてある丸太の椅子

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