フィールド・ノート68号
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年同じようにやっていてもお天気の加減で、毎年素人」たしかに年によって雨が多かったり、気温の高い日が続いたり。毎年同じようには決していかない。長年、お米づくりをしているにもかかわらず、ご自身を「素人」だと話す渡邊さん。自然を相手にしているからこそ、謙虚になれるような気がした。 苗の育ち具合を見ながら田起こしを始める。十日市場ではこの作業を「アラクリ」というらしい。その後、畦に沿って田の内側に、「テァデ」とよばれる土を少し盛った畦をつくる。手でつくった畦だから「テァデ」。「テミドをこしらえてねぇ、田のまわりをぐるぐるまわしといて、(水を)ここで入れた、ここで入れたって入れていただよ」 「テミド」とは「テァデ」と畦とのあいだにできる、手でつくった溝のこと。田に四方から水を回し入れ、「テミド」を通して循環させる。これは水温を上げるための工夫である。十日市場では湧き水を利用してお米づくりをおこなっている。湧き水の水温は年間を通じてほぼ13度。稲を育てるには水温が低すぎるのだという。 渡邊さんは5月末に田植えをしている。田植えのあとは、水の管理が欠かせない。崖の多い地形である十日市場あたりでは、田の水持ちが悪いという。「毎日、田と相談」朝のうち1、2時間水を入れて、いっぱいになったら止めるということを穂が出るお盆あたりまで続けるそうだ。私の祖父もこの時期になると、朝ごはんの前に田を見に行っていることを思い出した。今年の夏は私もついて行こうかな、ふいにそんなことを思った。 稲刈りは9月末。その適期について渡邊さんはこう話す。「細いほうから色が出てくるだよぅ、それが曲がり角まできたら刈りごろだっちゅうわけ。(穂の根元に)まだ青あおごめ米があるぐらいでいいっちゅうわけ」 稲刈りのあと、天候が良ければ10日くらい乾燥させて脱穀する。お米の水分が16%くらいになるまで乾燥させるそうなのだが、そこで渡邊さんの長年の勘が生きてくる。「(もみを)噛んでみるっちゅうわけ。噛んだ具合でねぇ、硬さが分かるっちゅうわけ。コキンっちゅう音がする」と笑ってみせた。お米のつくり手が感じているもの 渡邊さんのお話をうかがってみて、私が知っているお米づくりは、そのほんの一部にすぎないことをあらためて感じた。 たとえば、動物の話。十日市場では春先ごろからイノシシが出てきて田畑を荒らすという。ほかにもタヌキやキツネ、サル、ハクビシンが田畑に降りてくることがあるそうだ。それらはみな一様に厄介な存在なのかと思い、尋ねてみた。すると、すぐに返事がかえってきた。「キツネなんか何もしないよ。ネズミを捕ったりねぇ、いたずらをするものをとるっちゅうわけ。これが今じゃ……何でもみんな殺しちまう気になっちゅう」 稲の生長を日々見守る。時に話しかけながら。そして、その視線の先には野山に生きる動物たちもいる。実家のまわりでも休耕田が目立ってきた。それと同時に失われゆくものがある。地域ごとのお米づくりの工夫や、自然への心づかい。そんな思いを私は大事にしていきたい。お米のつくり手は稲の生長からどんな合図を感じ取っているのだろう。田んぼを囲む自然にはどんな思いを持っているのだろう。私には見えない世界がまだまだ広がっている。お米のつくり手の数だけ、思いおもいの「農ごよみ」がある。 もうすぐ今年のお米づくりが始まる。私はこれからも田んぼに足を運び続けていきたい。千葉真希(比較文化学科4年)=文北村彩乃(社会学科2年)=イラストフィールド・ノート編集部=写真

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