フィールド・ノート68号
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FIELD.NOTE32「ミュージアムつる」の近く、細い路地に入ると、「カタン、カタン、カタン、……」と速いテンポで、リズムを刻む音が聞こえてくる。家々が立ち並ぶ路地、風景に溶け込み、ひとめ見ただけでは、そうは見えない工こうば場のなかで織物の機械が動いている音だ。「なんだろうって、見に来る人もいるよ。機はたを織る音が懐かしいんじゃない」 そう言って笑う、原はらだたつこ田多津子(73)さん。ご自宅と隣接した、10畳ほどの工場のなかには、中央辺りに1台、入口から見て左側の壁にそって2台の機械が設置されている。中央にある高さ3m、横2m、奥行3mほどの大きさの機械は「織しょっき機」といい、縦糸と横糸をセットして機を織る機械である。壁にそって設置された2台の機械はそれぞれ「くだ巻き」、「くりこし」という。この2つは、仕事の受注先の会社から送られてくる糸を、織機にセットできるように巻き直すための機械だ。どの機械もところどころ修理してあり、長年使いこまれているように見える。 原田さんによれば、織機は約40年間使い続けているそう。現在この工場にある織機は1台だが、以前は3台が稼働していた。なかでもいま工場に残っているものが一番古いそうだ。「やっぱり使い慣れているから。油もしみ込んでいるし。寒くて乾燥する時期には埃がまって生地にくっついたりするから、こうやって霧吹きでちょっと濡らしたりするんだよ」原田さんは話しながらも、織機をさすったり、糸に絡んだ埃を落としたり。織機を長年大切に使ってきたのだろう。 織物についての知識が浅い私にとって、この工場にある機械は大掛かりなものに見えた。「大きいですねぇ」と私が言うと、「すごいもんじゃない」とおっしゃっていた。だがこの織機は使いかたを変えればさまざまな種類の生地が織れるそう。この時に見た限りでは、縦糸も横糸もたくさんあって、目が痛くなるほど細かな作業をしているようだ。「細かいけど、何事も慣れ。マフラーなんかも、やりようで(できる種類は)たくさんだよ」 原田さんは都留市盛里のご出身。中学を卒業後、奉公先で織物をされていたそうだ。その後23歳でご結婚されて、都留 生 き る織機と原田多津子さん都留の産業・経済の基盤となった織物産業の歴史を探るべく、私は都留市谷村にある「ミュージアムつる」に足を運んだ。そこで、現在都留市で機織りをされている方を紹介していただき、お話をうかがうことができた。私が聞いたのは、織物と「伝統ある産業」としてではなく、「生なりわい業」として向き合う人の生き様であった。 織 物 と

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