フィールドノート69号
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FIELD.NOTE16早春、甘夏の季節がやってくる。私は毎年この時期になると、その年に食べる分の甘夏のマーマレードをつくる。「甘」とついているけれど、甘夏は、酢っぱくて、苦い(しばらく置いておくと、ちょっとずつ甘くなる)。この苦味と酸味、そして香りに、じんじんと春を感じる。ヘタのところに十字に切れ目を入れ、皮を剥こうとして立ちのぼる香り。少しも、甘くもたれるところのない、すっきりと媚びない香りに、自分のなかに冬のあいだこもってきたいろんなものをはき出して、すがすがしい空気を満たすような、そんな気持ちになる。甘夏のこの香りは、身をそのまま食べても味わえない。マーマレードにして初めて、まるごと堪能できると私は思う。きざんだ皮を果汁に一晩浸し、砂糖を加えて煮詰める。ひと房ずつ果肉を袋からとりだして、種を除き、手でぎゅっと搾り、ボールいっぱいのきざんだ皮がすべて浸るくらいの汁を集める。だんだん指先が黄色く染まってゆく。できあがったマーマレードは、つやつやと輝き陽の光をぎゅっと集めたよう。それをあるだけの瓶に詰め、蓋をキュッとしめて、机の上に並べて眺める。甘夏のマーマレード皮をきざみ、水でゆすいで苦みをとり、果汁に一晩浸けて火にかけて砂糖と煮詰める。種をとっておいて、水に煮出してペクチンをとり、とろみをつけるのに使う。できたら煮沸した瓶に口まで詰める。今年もできてほっとする。私にとってこれは、新しい年度を迎えるための信頼のおけるお供でもある。これで今年もまた新しく始められる、そんな気持ちになるのだ。毎年必ずやってくるその季節、季節の仕事。自分がその一年どんな日々を送ろうと、変わらずに訪れる。そのことに励まされ、安心してまた次の一年を送ることができる。私にとってそのひとつが、甘夏だ。見る、聞く、かぐ、味わう、触れる。五感をつかって「春」を堪能する。いっぽうで、「春」が過ぎていくのを惜しむ。「春」をまるごと、しばらくのあいだ眺め、味わい、手に取ってたのしむ方法はないだろうか。瓶に詰めることで、ひと味違う「春」のたのしみが広がっていきました。春のびんめづ

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