フィールドノート69号
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瓶に水と花を入れ、蓋をしめて常温で置いておく。毎日朝と夕に振って蓋をあけ、味見をしてようすをみる。だんだん泡がでてくる。2日〜1週間くらいで発酵して酵母になる。できたら冷蔵庫で保存。花の色がでて、桜色の水になる。八重桜の酵母(漬けてから2日目)香西恵(社会学科3年)=文・写真4月下旬になると、いつのまにか八重桜が満開になっているのに気がつく。本学一号館の裏、グラウンドとの境にも八重桜の木がある。あるときその木の下で、パンを焼こう、と友人と話していた。八重桜の花を酵母にしてはどうだろう。桜の花や葉の塩漬けはあるけれど、酵母にするというのは聞いたことがない。けれど野菜や果物で酵母はできるのだから、花でもできるはず。やってみよう。土手にのぼり低いところに垂れている枝先から、花を摘んだ。いくつかかたまっているまとまりごと、摘んでいく。どうせあとは散っていくのだし、と思い切って摘み始めると、思いもかけない贅沢な気持ちになった。ふだん野の花を見ても摘もうとは思わないから、花を摘む、というのはこんなに贅沢なものだったのかと知る。顔を近づけると、かすかにふわっと、スーッとするような花の匂い。たしかに桜餅の匂いに通ずる。これが桜の匂いなんだろうか。煮沸した瓶に水を入れ、そこに花を沈め、蓋をして置く。洗わずに、花粉もガクも、まるごと入れる。そこについている菌が働いて、酵母ができるはずだ。1日たつと、桜のまわりにびっしりと気泡ができ、2日すると水が半透明に濁り、かすかだった香りが、際立ってくる。ツンと少し漬物のような、発酵した匂い。爽やかな香りが広がって、そのままの花からは想像できない、けれど、かいでみればたしかにこれは桜の匂いとわかる、不思議な感覚。眺めるだけでは味わえなかった、桜が内にもっていたものが、瓶に閉じ込めることで魔法のように立ち現れてくるのだ。ふだん、花を摘もうと思わないのは、摘んだらすぐに枯れてしまうし、そのままが一番だと思うからだ。果物や野菜も、あまり加工せずに、そのまま味わうことのほうが多い。手を加えすぎると本来の味がわからなくなってしまうと感じるからだ。けれど、手を加えることで広がっていく、初めて出会うことのできる世界がある。結局、八重桜の酵母は発酵のピークを逃してしまったようで、パンにしたけれど膨らまなかった。もう一度酵母をつくってみようと思っても、葉桜になってしまっている。時季を逃すともうできない。やっぱり、年に一度の味なのだ、と噛みしめる。つづきは来年の春にとっておこう。私の春のたのしみが、またひとつふえた。

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