フィールドノート69号
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23清水貞一さんの苗床コブシの花さんにとって春の訪れは、子どものころに捕ったカエルの思い出がもとになっています。地元で「ゴトンベエ」と呼ばれるアズマヒキガエルは、毎年、桜が咲く季節の暖かい夜、十日市場の桂川沿いにある池に集まり産卵をするといいます。地元のかたがその形から「すりばち池」と呼ぶ池に、アズマヒキガエルが集まり始めると春の訪れを感じるそうです。私の観察小屋がある大沢でお世話になっている佐藤和男さん(64)にとっての春の訪れは、コブシの開花です。コブシの花は山菜採りが近づいたことを和男さんに告げます。観察小屋に向かう林道に迫る急斜面を見上げると、まだ葉を出さない木々のあいだから確かにコブシの白い花が見えます。谷間に位置する都留市では、この季節、山々のどこにコブシの花が咲いているかがすぐに見てとれます。まるで「灯台」となって自らの位置を知らせてくれているようです。散歩の途中で地域のかたがたと立ち話をしながら、私は毎年、調査に通う福島県檜枝岐村の漁師のことを思い出しました。2000メートルほどの山に囲まれた檜枝岐村は、尾瀬の登山口としても有名です。この村の源流部では、毎年5月ころハコネサンショウウオが産卵のため沢に集まってきます。それを捕る漁師たちは、残雪の量だけでなくヤマツツジの開花などを観察し、それに自らの経験を重ねるようにして漁の開始時期を決めます。漁の開始時期前に、漁の期間の漁獲量まで予想できるといいます。◇こうした判断は、自らの感覚と長い経験とを重ねあわせ、自然の微妙な動向を読み取り判断するみごとな技芸のように私には思えます。ひとつの生きものの暮らしだけでなく、気候やほかの生きものを結びつけ季節の移ろいを見極める。それにはていねいな観察の繰り返しと結果の見直しという作業が伴っていることでしょう。それだけに地域の自然をよく見ておられると言えるのではないでしょうか。語っていただいた季節の感じ方はそれぞれちがいました。しかしそのどれもが地域の人と自然との関わりを物語る貴重な資料です。自然に信を置く温かいまなざしが伝わってくるこうした生きた資料を聞き取り、記録として大切に残していきたい。これが私の散歩の次なる課題です。

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