フィールドノート69号
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29もなかった。それを見た父は「ここはだめだ。良いポイントだけど他の釣り人にだいぶ驚かされているから」そう言って上流へ進んでいった。荒らされたポイントに当たるのは、私の沢釣り経験のなかでこれが初めてのことではなかった。私はこのようなポイントに当たるたびに沢釣りの難しさを感じる。釣ることに意識を向けているだけではいけないのだ。「あとから来る人のことを考えて」、父は私に何度もそう言った。沢と自分だけでなく、自分とほかの釣り人との繫がりをひしひしと感じた瞬間だった。沢、その魅力今回の釣りでは、私の釣ちょうか果はゼロだった。それでも私は沢釣りが好きだ。魚を釣り上げること以外の魅力が沢にはある。川縁の植物や小さな羽虫、目の前を凄まじいスピードで駆け抜けていく小さな鳥。そのすべてを感じながら釣りをする。沢では、多くの生きものが手の届くどころか、顔が触れてしまいそうな距離にいるのだ。じっと凝らして魚を探す目が、いつの間にかまったく関係のない鳥に奪われている。私にとっての沢は「釣り」というよりも、「出会い」の場なのかもしれない。アメリカのナチュラリストであるH・D・ソローは、彼の著作『ウォールデン森の生活』のなかで、釣りを魚との「交信」と表現しているが、私の解釈はまた少し違う。釣りという行為じたい、私はスポーツや遊びというよりも、「問いかけ」というふうに解釈している。釣りのなかで、自然や魚と交信できるまでの知識や技術・経験が足りていないだけなのかもしれない。でもだからこそ、私の沢釣りはいつも新しい出会いに溢れている。なぜこの魚はこんなに上流まで上ってきたのか、どうして川縁にはこの木がたくさん生えているのか、あの虫は……というように、一歩進むたびに不思議との出会いがある。その不思議が自然への問いかけになっていく。どんな形になって答えが返ってくるのかもまだ分からない。それでも私の針を追ってくるあの小さな魚が、私の問いかけにどう答えてくれるのか、それが知りたいから「また行こう、また歩こう、また釣ろう」と思うのだ。持田睦乃(社会学科3年)=文・写真[今回の沢釣りで使用した、「フライ」と呼ばれる毛針]釣り場の近くに棲む虫に似せて作られている。右は蚊に似せたもので、左は羽虫に似せたもの。どちらも父が、鳥の羽と糸とを針に巻き付けて作ったものだ。2人で釣りをするときにはいつも、父お手製のフライを使う[沢釣りをするときの装備品]右のシューズは川のなかでも滑りにくいように、靴底が工夫されている。左は釣り専用ベスト。ポケットがたくさん付いていて、道具を持ち歩くのに便利だ。胸には、川で魚を釣るために必要な入漁券をつける。入漁券は釣具店やコンビニで購入できる 大旅沢の風景。水量は少ないが、イワナやヤマメなど、多くの川魚が棲んでいる

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