フィールドノート69号
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35っていた。これがかたいおせんべいの秘密のようだ。「毎日焼いていますけど、うちで売り切れてしまうので、そとは大月駅の売店にしか出していないんです」。茂子さんの言葉からその人気ぶりが想像できる。おせんべいは、できるだけ焼きたてをお客さんに渡したいという想いから、つくり置きはしないそうだ。茂子さん一家の一日は、朝7時頃から準備して午前中はずっとおせんべいを焼く。焼きながらお店を開けて、午後は袋詰め。そして、夜の7時まで営業するという。朝におせんべいを買いに行けば焼きたてが食べられると教えていただいたので、後日、あらためてうかがってみた。焼きたてのおせんべいは白い紙に包まれて私の前に登場。できたてを食べたことがないので、わくわくしながら受け取ればまだ温かい……というより熱い。ちょうど熱した鉄が曲がるように、柔らかくて、ぐにゃりと簡単に手で曲がる。それが面白くて、曲げて遊びたくなる。だが、すぐに固まってしまうと聞いていたので、おせんべいを口に運んだ。モチーとした歯ごたえで、おせんべいが歯から受けた衝撃を吸収し、歯の力で圧縮されるような感じだ。おせんべいによって口のなかが温かくなる。焼きたてのほうが固まったものより山椒の風味が少しだけ強いようだ。しかし、噛み切るのに時間がかかるというところは同じ。おせんべいの最後のほうは食べているあいだに固まっていた。「やっぱり焼いているところでないと。ただ売っているところだとそういうのはないですよね」。焼きたてのおせんべいを食べるという経験はなんだか新鮮で、少しだけ得をした気分になった。「ちょっと教わったからできるものじゃなくて、やっぱり何年も修行を積んでいかないとできないことだから」と綾子さんは言う。おせんべいづくりに職人というイメージがなかったので修行が必要だということに驚いた。おせんべいの長い歴史や味を引き継いでいくこと。泉屋さんのおせんべいづくりはただのお菓子づくりとは違うようだ。おせんべいのみでお店を経営していくことは自分のつくるおせんべいに自信がなければできないだろう。泉屋さんにとっては仕事として当たり前になってしまったことかもしれないけれど、自信をもってお客さんにおせんべいを提供する姿勢はかっこいい。◇「レシピがあってできるものじゃなくて、感覚かな。長くやらないとできない」。以前取材でうかがった錺かざりや屋さんも同じような話をしてくださったことを思い出す。感覚、というとなんだか最初からもっている才能のようなイメージがあるけれど、そうではないことに気がついた。長い時間と労力を費やして自分なりに培っていくものだ。泉屋さんの言う修行は技術とともに、感覚を鍛えるものなのだろう。そうして鍛え上げられた感覚と技術が合わさったとき、本物の職人としていいものをつくることができるようになるのではないかと思った。そして、文章を書くということも同じなのかもしれない。悩んで、書き直して、自分を見つめることを繰り返して、ひとつの文章を書き上げる。まだまだ感覚で自分の納得する文章を書くことはできないけれど、その繰り返しのなかで自分なりの感覚を鍛えていきたい。藤森美紀(社会学科3年)=文・写真落ち着いた雰囲気の店内。ガラスケースにはおせんべいが並ぶ。泉屋と書かれた暖簾の向こうは厨房上‥おせんべいの断面。白と茶色の層になっている右‥これが噂の木の実せんべい
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