FN70号
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15特集:涼むようだ。そういえば、さきほどから心地よい風が絶えず室内に吹き込んで窓際のカーテンを穏やかに揺らしている。でも決して冷房機器から送られてくる風のように冷ややかではなく、一定に吹き続けるものでもない。ゆったりと吹いたりやんだりを繰り返し、家のなかを行き来している。それが身体に疲れを感じさせず、エアコンなどがつくりだす涼しさとは違った心地よさを感じさせているような気がした。 私は取材に来るまで感じていた蒸し暑さをいつしか忘れ、鎌倉末期の歌人で随筆家としても有名な兼好法師の言葉を思い出していた。 「家のつくりやうは夏を旨とすべし。冬はいかなる所にも住まる」(『徒然草』)。つまり家の造りや構造は、夏を基本とするのがよいのだという。兼好はつづけて、夏に暑さを凌しのげない家は耐え難いことだともいっている。 雪国出身の私としては、冬はどんな場所でも住めるというのは疑問が残るところだけれど、思えば昔は火桶や火鉢のような暖を取る器具はあっても、涼を取るための器具といったら何があっただろうか。せいぜい団扇や扇子くらいしか思いつかない。でも、たとえ今の冷房機器に匹敵するものがなくても、かわりに昔の人は夏を快適に過ごすための暮らしかたや家の建てかたを知っていたのではないかと思う。 空調設備が発達した現在では忘れられがちな、風土に基づいた知恵や工夫がきっとこの家にも活かされている。風通しのよい間取りがそれを物語っているようだった。古民家に暮らす 羽野さんにとってこの家で暮らす魅力とは、夏の過ごしやすさだけではない。薪で焚くお風呂や日のあたる縁側、重量感のある梁や柱、木戸の趣など枚挙に暇がない。そしてなにより、生活リズムが違うなかでもときに協力しあう四人の関係や、そこから広がる人の輪、地域との繋がりも大きな魅力となっている。見せていただいたノートには住人同士の伝言に加え、ここを訪れた人たちからのメッセージがにぎやかに書き込まれていて、ページをめくるごとに結ばれた人間関係のあたたかみが伝わってきた。 連日猛暑日が続くなか、以前から興味があった古い造りの家を訪ねると、そこには現代の冷房機器がつくりだす涼しさとは違う快適さがあった。私は、先人がもっていたであろう知恵や工夫を背後に感じつつ、羽野さんたちがこの家を介して広がる人の輪を大切にし、家に愛着をもって暮らしている姿に出会うことができた。 この家は百年という長い歳月を経てもなお住居としての役割を果たしている。最初は過去の遺構に思いを馳せるような感覚でこの家を見ていたけれ牛丸景太(国文学科2年)=文・写真蚊帳を張るお二人玄関付近のようす
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