FN70号
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33きりとした色が多いんです」 小道に付けられた手作りの小さな看板を頼りにしなければ、なかなか辿り着けそうもない場所にあるジェンギズさんの工房。隣に立てられた自宅は、大きな屋根が斜めにつけられた洋風の家。どのような経緯で今のような暮らしをするに至ったのか興味が湧いてきます。 美術科と陶芸科の二つの大学を卒業するまではトルコで暮らしていたというジェンギズさん。その学生時代に、一人の日本人のかたとの出会いが日本へ向かうことになったきっかけです。「今では70代」というその日本人のかたが住んでいたマンションには少し困ったことがありました。当時、そこには水がとおっていなかったようなのです。そのことを知ったジェンギズさんがバケツにくんだ水をしばしば運んで届けたことがきっかけで、しだいに親しくなっていきました。陶芸に興味があったというその日本人のかたから、益ましこ子焼で有名な栃木県益子町のことを紹介されます。「言葉が分からなくても、目の前のことしか見てなかったですから。あぁ行きたいですねと言って、日本へ行くことにしました」当時25歳。それから7年間、益子町で研修生として暮らすことになりました。そのあいだに結婚もします。 そこから棡原で暮らすようになったのは、偶然テレビで取りあげられていたのがきっかけだそうです。そろそろ独立しようと思っていた頃で、棡原の素朴さと静かさに魅かれたといいます。移り住んだ当初は地域のかたから家を借りて暮らしていました。 もともとは二年くらいでトルコへ帰るつもりが、今年で日本に移り住んで20年目を迎えます。「必死になんでも吸収しようとしてきましたから、なんだかこれからなにが起きても不思議じゃない、というのがあります」どこか俯瞰した語りにたくましさを感じます。いっぽうで、もっと自分の作品が受け入れてもらえるようになるにはどうすればいいか、20年後くらいに自分は何をしているのだろうか、と悩みや不安は尽きないようです。それでも「悩めるかぎり、まぁいいんじゃない」とあくまで前向きです。 ジェンギズさんは、人との出会いを時に大きな軸としながら流れるように生きてきたのだな、という印象がありました。でも少し見かたを変えると、積極的に生きかたを選び取ってきた、とも思えてきたのです。「悩めるかぎり、まあいいんじゃない」という語りに少し勇気をもらったと同時に、生まれも育ちも大きく違うジェンギズさんがこうしてダイナミックに生きる姿を見て、僕自身、今までの出会いが今の自分にどのような影響を与えているのか、捉え直してみたくなりました。それは、これからのさまざまな出会いをさらに丁寧に見つめることができるきっかけになるようにも思うのです。工房に並ぶ器。はっきりとした空色や千草(ちぐさ)色のものがある

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