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今「リフォーム」って呼ぶけど私が子どものころっからすでに、着物を解いて、子どもの服を作るっていうのは当たり前だったのね。だから、別に不思議ではなかったの。で、たとえばお嫁に来る時に「腰巻き」っていうのがあるじゃない、着物の下にする。あんなのだってほら、いい生地でしょ。私の母のもね、オレンジ色のいい腰巻きだったの。そしたらそれは、学芸会する時のワンピースに縫ってくれたよね、母が。それでこんなとこ(襟の辺り)にちょっとレースをつけてくれたりね、あとオシャレにね、イチゴのボタンをつけてくれたりね……。ちっちゃいころ着たものはみんな覚えてるよ、作ってくれたものだから。あの学芸会の時はこういうの、この時はこういうの……最後には帯を解いてズボンを作ってくれたのとかね、そういう記憶がいっぱいあるのね。 ほんとによく縫ってたもんね。それを見ながら、ほら端はぎれ布が出てくるでしょ? それでお人形さんの服を私が縫ったりしたのね。当時は小学校の3年生から「裁縫」っていう授業があったのよ、学校の授業で。5年生になればワンピース縫ったよ。そういう時代だったでしょ。だから、針を持つこととか、もう当たり前だったのよねえ。自然に。16歳でスーツ縫いましたよ。12、3歳の時につけた「洋裁」のノートそのままとってあるんです。その時はノートってすごく貴重だったの。洋裁のなんてそれに、なかなかないのよね。(洋裁ノートを見せてもらう)これを見ながら、一生懸命、自分で作ったの。だからこれが、私の洋裁のルーツ。一番きちんとしたね。ここから始まったわけ。タンスから顔を出した、母の想い それで、「リフォーム」ってやり始めたきっかけ! それは、私の妹が、私の家を見て、いろんな趣味の道具がいっぱいあるのを見て、「もしこのまま私が死んでしまうと、あと子どもたちがこれを片付けるのがえらいから(大変だから)、今のうちに片付けた方が良いよ」って、私が70歳になったとき。それで私もふと「そうだな」って思ったわけ。 で、たまたま自分のタンスを引き出してみたら、そのなかに、母が私に残してくれておいたものとか、たくさんあったわけ。っていうのも、私が縫い物をするから、母が亡くな長きにわたる教員生活。それを終えたらリフォーム講座や詩友会の中心に立ち、油絵、水彩と趣味でも大忙しなのにハツラツとした笑顔が素敵だ。̶̶「 ね? おもしろいでしょ!」今号から数回にわたって、遠藤静江さん(79)のお話をお伝えしていきます。今回は遠藤さんが和服リフォームを始めたきっかけをご紹介します。FIELD.NOTE24
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