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書の道、人の道 藤本さんは先生として子どもたちに書道を教えるいっぽう、書道家・南なんが画家としての顔も持っている。雅号はそれぞれ青せいらん嵐・嵐らんこう光という。南画とは、墨の濃淡で表現する水墨画の流派の1つで、池いけのたいが大雅や与よさ謝蕪ぶそん村が有名だ。 藤本さんにお願いをして、いくつか作品を見せていただいた。見慣れた半紙ではなく、半切という大きな紙に書かれた書はそれだけで迫力がある。南画に限らず水墨画の作品自体を鑑賞するのも初めてのことだった。筆で描かれた一筋が木の枝にも葉脈にもなり、さまざまな表情を見せるのがおもしろい。 数ある作品のなかでひときわ目を引くのが、元首相の犬いぬかい養毅つよし(雅号:木もくどう堂)の臨書だ。貫くような直線と、しなやかな曲線で表現された文字からは、力強い印象を受ける。臨書とは、お手本を見ながらできる限りお手本に近付けて書く書のこと。創作の書ももちろん書くのだけれど、藤本さんは「書いた人の心意気が伝わってくるような気がするし、その人のことを詳しく知りたくなる」と、臨書の魅力を語る。 筆をとる時どんなことを考えていますか、と尋ねると、藤本さんは少しの沈黙の後「何も考えてないねえ」と笑った。「生活してると嫌なこともあるけど、書に向かって集中してる時は全部忘れちゃう。こうやってストレスばっかり抱えず生きていけるような時間があるといいんじゃないのかな」。何も考えないと言っても、ただぼうっとしているのではない。意識を書だけに向けて、無心になるということなのだろう。 藤本さんは、自身も書道家であった父親の影響で書道を始めた。4人兄弟の長女という立場もあってか、やらされているという気持ちが強く、子どものころはそんなに書道が好きではなかったようだ。結婚してからは書道とは疎遠になっていた。けれど、長く続けていたことは一度離れてもまたやりたくなってくるものらしい。父親が亡くなったことをきっかけに、もう一度筆を手にとることを決め、富士吉田市に教室を構えていた渡わたなべ邉寒かんおう鷗先生に師事したという。 日々の忙しさに書道をやめたほうがいいのでは、と考えることもあったが、家族の応援もあり現在まで続けてきた。「今思うことは、やっぱり書道をやっててよかった」。書道を続けるなかで周囲の人から、品がいいね、と言われることが幾度となくあったという。その「品」とは一つの道を追求することで積み重なってくる、経験や人生観といった深み、自信のことではないだろうか、と私は思う。 藤本さんの書道との道のりは平坦なものではなかっただろう。けれど、藤本さんの言葉には温かい響きがあり、今このとき書を楽しむ藤本さんの喜びが私にも伝わってきた。藤本さんが書いた犬養木堂の臨書FIELD.NOTE28

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