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「先生」を教えた先生 藤本さんは渡邉先生のもとで書道助手を務めながら、書道と南画を学んだ。南画は筆と墨を使う画法であるため、書道の技法と共通するところも多い。特に、藤本さんは渡邉先生から題材として竹を描くように強く勧められていた。その理由は藤本さんの書く線が強く勢いがあるからだそう。他人の書を真似て書くことは経験を積めば誰にでもできるが、その人自身が生まれながらに持っている線の強弱はそう簡単に変えられるものではない。 渡邉先生から投げかけられた言葉は、今も藤本さんの書に強く影響を与えている。「先生にほめられた言葉って忘れないね」。ほめられるのは、誰からの言葉であっても嬉しいものだ。けれど、自分が尊敬し追いかけている人に認めてもらったことは、自分のなかでもっと特別なものになる気がする。 藤本さんに「教える」とはどういうことだと思いますか、と聞いてみた。ここでも、藤本さんは渡邉先生の言葉を紹介してくれた。「人にものを教えることには責任が伴います」 腕に自信がなければ他人に教えることはできない。だからこそ、藤本さんは「人に飽きられないよう自分が向上すること」をつねに心がけている。そんな藤本さんの姿勢に心打たれてか、将来は書道の先生になりたいという生徒もいる。渡邉先生の考えは藤本さんに託されて、また藤本さんから書道教室の生徒へとたしかに受け継がれているのだろう。 今私たちに教えてくれる学校や習い事の先生にも、いつか教えを受けた先生がいる。当たり前のことだけれど、嬉しそうに語る藤本さんを見ていると不思議な気持ちになった。私から見た先生は、知識も人生経験も私よりずっと多くのものを持っている存在で、先生が生徒だったころのことなど想像したこともなかった。 あの先生にもこんなふうに憧れ、追いかけ続ける誰かがいたのだろうか。私が今まで出会ってきた先生たちの顔が思い出された。リレーを繋ぐ 教えるということについて考えるとき、私は今見えている「先生と生徒」という構図ばかりを追いかけていたように思う。けれど、もっと視線を遠くへと向けてみると、生徒に何かを教える先生の後ろには、もっと多くの人たちの存在があることに気づく。 生徒は先生から、知識や技術だけを受け取っているのではなく、生き方や考え方をも受け取っている。そして、それらは直接教えてくれた先生だけのものでなく、先生がほかの人から受け継いだものでもある。教えることは、前の世代からバトンを預かり次の世代へと託すリレーのようなものかもしれない。 そう考えると、大事なのは教える立場ばかりではないと思う。先生から教えてもらう、学ぶ側に立ったときに、きちんと受け止めようという気持ちがなければ「教える」ことは成り立たない。私に至るまでの繋がりを思えば、先生に教えてもらったことをおろそかにはできない気持ちが生まれる。 なるほど教えることは責任重大だ。けれど教えることで、学ぶことの可能性は広がっていく。学んだことが自分のなかだけで終わってしまうのは、受け取ったバトンの行き先が見当たらないようで、なんだか寂しい。誰かに伝えたい、と思ったとき、学ぶこと、究めることはもっと楽しくなるのだろう。大澤かおり(社会学科3年)=文・写真29

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