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9湯がいた後そのままお醤油だけで食べたり、ほかの料理の具材にして食べたりした。 標本づくりをしているあいだ、ずっと考えていたことがある。最初はただ本当に、「自分だけの標本箱、博物館がほしい」と思っていただけなのに、何でこんなふうにじっくりと、一つひとつ丁寧に観察しているんだろう。魚の骨なんていつもは捨ててしまうところなのに、何でこんなに大事に思えるんだろう。なんでもっと簡単な、ただ拾ってきて並べれば良いだけのものを選ばずに、私は「魚の骨」を選んだんだろう。 魚が身近だったから、誰かに勧めてもらったから、というのも確かにある。だけどきっとそれだけじゃなくて、私自身がもっと「魚」を自分の近くに引き寄せて考えたいと、心のどこかで思っていたからだ。セミの抜け殻を集めているときにも、同じ種類のセミ同士に見られる個体差などから、身の回りにいる生きものの多様さに驚いた。そして集まったものをきれいに並べて残しておくことで、残したものが比較対象になり、以後の自分の発見につなげていけることに感動していた。何げなく通り過ぎていってしまうもの、捨ててしまうもののなかに、自分が生きものをより深く考えるための一つの基本となるような「定規」が隠れていることに気づいたのだ。 食べているときには「うっとうしいなあ」と思う魚の小骨も、標本づくりを一度やってからはなんだか大事に思える。いつも何気なく生活の片隅にある、価値があるのかどうか一目では分からない小さなもの。でも丁寧にじっくり観察すると、細かな部分や個体差など、知らなかった部分が少しずつ見えてきて、「どうしてこんな形なんだろう」「どうしてこんなふうに違うんだろう」と、新しい疑問が生まれていく。 私は標本づくりを通して、身近なものとのかかわりから生まれてくる疑問を、ちゃんと見えるように残しておきたいと思うようになった。私がつくった骨格標本は、今後私が魚を見るときに、私のなかの「定規」として機能してくれるはずだ。比較してじっくり見る。その面白さと発見の多さに、改めて気づいた経験だった。骨格標本づくりの工程骨格標本にする15㎝ほどのタイ。買うときにワタぬきをしてもらうと作業しやすいひれが取れてしまわないようにガーゼでくるんで、沸騰したお湯で完全に火が通るまで湯がく先の細い箸やピンセットを使って身をほぐしていく。ピンセットも届かない部分は爪楊枝で身を取る123取れるだけ身を取った状態。この状態から洗浄する。今回は入れ歯用洗浄剤に浸けて1週間ほどようすを見た後、薄めのキッチン用漂白剤に一晩浸けた4洗浄を重ねてほぼ身が取れた状態。まだ脂が残って黄色みがかっている。これからまた漂白剤に浸けていく予定5とる

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